浄土真宗

NHK Eテレ こころの時代『第二の誕生』

                                                
 2014年11月2日放送
                        a:398 t:2 y:2   from 2021.4.7

画像の説明
                 画像の説明
画像の説明

              小児科医・まなざし仏教塾代表    志慶眞 文雄
              聞きて               金 光  寿 郎
 

ナレーター  

  沖縄県うるま市、今日はこの地の医師・志慶眞文 雄さんをお訪ね致します。平成四年に開業したこの小児科医院、多い日には一日に百人ほどの子どもさんたちが訪れます。志慶眞さんはこの地に生まれ、医師として幼いいのちと向き合ってきました。志慶眞さんが、生死の問題を考え始めたのは、十歳の時、いずれ自分も死ぬという恐怖を自覚したのがきっかけでした。大学院では、この世界はどのように生まれたのか、素粒子の研究によって説き明かそうとしましたが、その問いへの答えは見つかりませんでした。
 その後、親鸞聖人の教えに親しんでいる女性と結婚して仏法に出会い、医師となって沖縄で開業、縁ある人々と共に聞法を続けてきました。生死の問題に向き合ってきた志慶眞さんに、仏法との出会い、それによって生きることをどう考えるようになったのか、お伺いします。

金光:  日本語の漢字というのはいろんな意味があって、それぞれの意味を考えると非常に面白いんですが、志慶眞先生がお話になったものが記録されたのを拝見しますと、お話の中で、「生活(せいかつ)」、両方とも「いきる」と読むわけですが、「生(なま)」の「生(せい)」と、「活動・活躍」の「活(かつ)」とで「生活」というふうになっているわけですが、この「生」と「活」の意味は、どういうふうに解釈し、どういうふうにお話になっていらっしゃるのか、その辺から聞かせて頂けませんでしょうか。
 

志慶眞:  そうですね。人間が生きるということは生活していることなんですけど、私は「生(せい)」と「活(かつ)」ということに一つ仏教的な意味を見出して話をしています。
 我々は日常生活でパンを手に入れないといけない、それが「活」なんですね。日常生活はほとんどそれで費やされているわけです。けれども、パンを食べても人間は死ぬという問題があるわけです。どんなにパンをたくさん手に入れても百パーセント死んでいく。そうすると「活」だけで、生きているということの問題をこえることはできないわけです。
 自分の人生を振り返ってみると、「活」を積み上げることによって、人間が死ぬという問題を乗り越えようとしたけれど、いつも失敗を繰り返してきました。その結果、「活」だけでは人間が死んでいくという「生死(しょうじ)の問題はこえられない」ということに気付きました。それで沖縄で仏法を聞き始めの人たちに、何で仏法を聞かないといけないのかということを「生と活」の問題を通して話しをしています。どんなに豊かでいろんなものが手に入っても、それだけでは「生死の問題はこえられないですよ」と。この「生」と「活」の質の違いをはっきり理解することは、仏教を聞く大切なポイントだと思いますね。
 
金光:  現代の人たちは生きることが生きる目標、生きるだけで目標が終わりですが、昔の人は「生死(しようじ)」と読んで、生と死を一括りのものとして離していなかったようです。現代はその生と死を離して考える。それで例えば癌の告知なんかされると、そこで初めて死に向き合わないといけないので、慌てたり非常にがっくり落ち込んだりと悩まれるというようなケースが多いようでございます。 
 実はこれも先生がお話になった記録を拝見しますと、十歳の時、この沖縄で夜の星空を見上げた時に自分というものが消えてしまったらどうなるのかと、まさに死の問題が身に迫って途方にくれたというか、そういうご経験をお持ちだそうですが、どういう状況だったんでございますか。
 
志慶眞:  そうですね忘れもしない五十数年前、実は場所も今住んでいるこの場所なんです。小さいころから星空を見るのが好きで、十歳の時に夏の夜空を眺めていたんです。ここは田舎で満天の星でした。その時にふと「いつかこの星空を見れない時がくる。自分はいつかこの地上から消えてしまう」という思いが込み上げてきて、悲しさというのか虚しさというか立っておれないような衝撃を受けたんですね。
 その頃、休日になると近くの米軍基地から若い兵隊さんがチョコレートとかキャンディをもってジープでドライブに来ていました。その車を「give me chocolate!」と後ろから追いかけたりして毎日遊び呆(ほう)けていましたが、その日を境に生きていくのが辛くなりました。「誰か助けてくれ!」「 どうしたらいいの! 」そういう心の叫びがそれ以来消えることはなく、そしてそれに答えられるような術(すべ)もなくて、結局小学校、中学校、高校、大学と、今に至るまで「生死の問題」が自分の一番の問題になったんですね。
 
金光:  その時の追求の仕方というか、生死について先生はどういう形で近づいていかれたんですか?
 
志慶眞:  そうですね。先ほどの「活」の問題は、実はこれはこれで大切なんです。「生(せい)」の問題が大切だから「活」は意味がないと言っているわけではないんです。ただ、「活」を積み上げても「生」の問題は解決しないということなんですね。
 大学に進学しても、人間は死ぬから虚しいんだとずっと思っていました。ところが大学一年か二年のある時「じゃあお前、百年でも千年でも一万年でも、あるいは永遠に死なない身体になったら生きて生けるか」とふとそういう問いが起こった。何のために生きているのかわからないんだったら、永遠に生きることは生き地獄が続くだけじゃないかと思えた時、それまで死ぬから虚しいと思っていたけど、今を生ききれないことが実は自分の大切な問題だと、死の問題を通して気づかされたんです。これは大切な気づきでしたが、気づいたから明日からは生きれるようになりますとは言えないわけで、あいかわらず虚しい毎日でした。
 どうせ死んでしまうし、しかもどう生きていったらいいのかもわからない人生だと思っていましたが、小さい時から、物のあることの不可思議さとか、宇宙の不可思議さには興味がありました。それで天文学者か物理学者になって、そういうものを探求して一生終われたらもうそれだけでいいと、特に大学に入学してから強く思うようになりました。しかし、工学部電気工学科に進学してしまった手前、もう道が途絶えたような思いでした。

金光: 工学部というのは、どっちかというと応用科学的なものが多いので、そちらではこの問題の解決のメドは見つからないと。

志慶眞:  そういうことですね。それで思い切って理学部物理学科への転入試験を受けたいと大学と交渉しました。当時の沖縄には内地留学制度があり、私はその制度で国立大学に入学しました。どの学部のどの学科にと枠を決められて入学しているから、転入試験はダメと言われたんです。悩んだ末、大学を辞めたいと家に電話しました。すると親は「大学卒業してからでもいいから、自分がもし行きたいところがあれば行ってもいいよ」と言ってくれました。このまま大学を辞めて帰ると迷惑をかけることになるので、とりあえず工学部を卒業することにしました。大学卒業後、浪人して物理の勉強をし、一年後、広島大学の素粒子の実験研究室に運良く合格しました。嬉しかったですね。
 
金光:  物質の一番基礎のところから勉強しようと思われたんですね。
 
志慶眞: この世の成り立ち、何でこの世の中があるのか、宇宙とは何か、人間とは何か、科学的に追求すれば根本的なことがわかると思っていたわけです。
 修士課程を終わって博士課程に進学しました。しかし物をいくら追求しても、どういう具合にという「how」はわかるけれども、何故そうなのという「why」は、いくら追及しても最終的には結論が出ないと思い至った時、また自分の生死の問題でつまずいてしまいました。それで結局大学院を中退しました。素粒子の研究をしている時には、自分の青春のすべてをかけ、自分の人生はこの方向で行くんだと強く思っていましたが、それが挫折してしまってもうどうしていいかわからなくなりました。 
 その時に、知人や医学部に行っている友人が心配して「志慶眞君、医学部をこれから受験したらどうか」と言ってくれました。大学時代に落ち込んでいる時に、私を支えてくれたのが自分の祖母でした。小さい頃から可愛がってくれて、小学校のころまで足を絡めて寝ると安心でした。大学に進学し沖縄を離れた僕をいつ帰ってくるかといつも心待ちにしていました。大学時代に行き詰まってどうにもならないとやけっぱちになった時、初めて自分を待ち続けている祖母の姿が浮かんできて、このまま人生を投げ出してはいけない、もう一回やり直そうと思いました。それで大学を卒業してから物理の勉強をして大学院に進学しましたが、その素粒子研究も挫折しもう行くべき道がなくなりました。それで自分を思い続けて待っていてくれる祖母の元に帰ることを考えるようになりました。
 友人の勧めもあり、祖母の元で生涯やれる仕事を身につけたいと思って、医学部進学にチャレンジすることにしました。しかし医学部進学は険しい道で合格するのに五年かかりました。ちょうど大学院時代から大学進学予備校で生活のために非常勤講師をしていましたが、非常勤講師をしながらその教え子たちと一緒に共通一次試験を受けました。試験場で毎回顔を合わせるのはつらかったですね。
 
金光:  どこでも医学部というのは難しいですからね。

志慶眞: ほんとに無茶なことで、どうなるかわからないような状況の中に飛び込んで、幸い五年経って広島大学医学部に合格しました。
 私は大学院博士課程に進学する時に結婚しました。家内は熊本出身で、高校生の頃から親鸞の教えを聞く機会があって、広島大学で細川巌(ほそかわいわお)という先生が、「歎異抄(たんにしよう)の会」をやっているから行こうと誘ってくれたんですが、私は「今の葬式仏教で、自分のこの生死の問題が解決するとはとても思えないから行かない」と言って、七年ぐらい拒絶していました。素粒子の研究に行き詰まり、医学部進学をめざして勉強を始めましたが、仏教そのものには小学生の頃から関心があったので、受験勉強の合間に時間を見つけて原始仏典や禅宗関係の本を手当たり次第に読みました。年月を経て少しずつ自分の頑なな心が解けてきて、「もし医学部に通ったら、細川先生の話を聞きに行ってもいいよ」と家内と約束をしていました。
 たまたま合格発表があったその日に細川先生の「歎異抄の会」があり、その足で「歎異抄の会」に行きました。「歎異抄」そのものはよくわからなかったけれども、今までは「あれが悪い、これが悪い、あれを変えたらいい、これを変えたらいい」と、周囲のことを変えることで自分の生死の問題を解決しようとしてきましたが、歎異抄を聞いている時に聞こえてきたのは「そうやっているあなた自身が問題じゃないですか」という言葉でした。「あーそうか。自分自身が問題だったんだ」と気づかされました。それが、私が初めて親鸞の教えを聞くきっかけになったんです。
 
金光:  これは、自分の見方が全然変わってしまうという一番キーポイントの一つですね。細川先生は、私もお目にかかったことがございますが、確か福岡教育大学の先生で、しかも化学の方の専門で、決して仏教が専門の先生ではない方でしたが、で、その方の会に顔を出されて如何でございましたか。
 
志慶眞:  はい。今までのものの考え方とは違う視点でものを見る教えに非常に心を揺さぶられました。
 これまでは体調が悪いとか、あの人の話はどうだとかこうだとか、いろいろ言いながら、自分の都合で話を聞いていたんですね。「歎異抄の会」に出た時に、ちょうど医学部に進学して沖縄に帰るまで六年間あるので、「今日は夫婦喧嘩した、今日はお腹が痛い、今日は頭が痛いとか、どんなことがあってもそれはさておいて、六年間は仏教を聞くぞ」と決心しました。それで何があっても六年間は必死に聞法しました。
 ただ初めは、親鸞の教えに触れていないものですから、わからないことだらけでした。細川先生の先生の住岡夜晃(すみおかやこう)先生の言葉に、
 
今日も悪く
昨日も悪く
明日もまたいよいよ悪い
 
という言葉があるんですね。昨日も今日も悪かったのはわかる。でも明日は良くなろうと思って生きているのに、明日もいよいよ悪いと言われたら、もう生きていけないじゃないか。こんな無茶苦茶なことが言える浄土真宗というのはいったい何だろうと、さっぱりわからない状態でした。
 
金光:  進歩を否定する教えじゃないかみたいな受け取り方ができますでしょうね。
 
志慶眞: 自分というもののありようというか、正体がわからないために抱いた疑問だったわけですけど、結局そのようなうなずけない問題にどう向き合っていくかが、聞法を続けていく原動力になったんですね。
 
金光:  でもそこまでやっても、聞いても、自分がとことん悪いとは思えなくて、やっぱり少しは悪いけれども、少しは増しなところがある筈だと、つい思いますね。私なんかもつい思いますが。
 
志慶眞:  そうですよね。その頃は自分の中に煩悩があって、この煩悩を何とかすることが仏道だと思っていました。
 
金光:  頭の中に湧いてくるのが煩悩であって、良い煩悩もあるけれども、悪い煩悩が本当の方の煩悩みたいな変なあまい考え方が、私なんかの頭の中に浮かんできますけれども、煩悩が自分の中にあると思っているだけではダメなんですか。それがどういうふうに変わるんですか。
 
志慶眞: 本当は自分の中に煩悩があるんじゃなくて、煩悩に名前をつけて「私」と言っているんですね。「私」と分別すること自体が既にして煩悩です。私の中に煩悩があるんじゃなくて煩悩に名前を付けて「私」と言っている。それ以外に何か煩悩があるんじゃないんですね。仏教はそれを「煩悩具足(ぼんのうぐそく)」とか「煩悩成就(ぼんのうじようじゆ)」とか言い当ててきたわけです。百パーセントということなんです。この教えに出会って「今日も悪く、昨日も悪く、明日もまたいよいよ悪い」という、そういう自分の正体に目が覚めたということですね。
 そういう自分のありように気付かされた大きなきっかけになった書簡があります。それは細川先生と関先生の往復書簡なんですが。
 
金光:  それは広島から沖縄にお帰りになってから、その書簡を見られたわけですか。
 
志慶眞:  そうです。広島で六年間聞法して、意気揚々と沖縄に帰って来たんです。ところが親鸞の教えを聞く場所もない、人もいない、そういうところに帰って来て、今まで広島でわかったと思っていた自分のうなずきが、ほとんど何の足しにもならないということを思い知らされました。それから五年ぐらい仏法の仏の字も言えないくらい戸惑っていました。流罪になった親鸞聖人のことが思われて一人で流罪になった居多ケ浜(こたがはま)も訪ねました。三十八歳の時に医者になったので、四十歳前の研修医でした。家内は「あまりの忙しさに仏法のことを忘れてしまった」と思ったらしいのですが、そうではなくて、どう歩んでいけばいいのかまったく道が見えなくなってしまったんです。
 どうしていいかわからない状況のまま五年が経過し、このままではどうにもならないと思った時、一人の先輩の言葉がしきりに思い出されました。私が沖縄に帰る時に、「志慶眞君、沖縄に帰るんだったら、沖縄の厳しい現実の中でわかるまで聞法してくれ」と。その時は、わかっているという思い上がりがありましたから聞き流していたんですが、行き詰まった時に、その言葉がしきりに甦ってきました。
 医者になって五年経った時、小児科医院を開業することにしました。その時に、聞法道場を作ってもう一回いちから聞法することにしました。何故かというと、自分に問題があることはわかっていましたから聞かなかった昔には戻れない。しかし親鸞の教えが必ずしもうなずけないので前にもすすめない。「浄土」とか「本願」とか「念仏」とか、そういうものがうなずけないわけです。そのまま立ち止まっていては道は開けないと思い、医院の二階に聞法道場を作って十年間聞き続ける決断をしました。十年間聞いてうなずけなければ、自分は親鸞の教えを受け入れることのできない身だから浄土真宗の教えを聞くのを止めようと思いました。
 開業して二年目のある日、診療を終えて、届いた手紙とか書類を見ていると、ある「聞法通信」がありました。それを見て大きな衝撃を受けました。私が話を聞いておりました福岡教育大学の細川巌先生とその教え子であった関真和(せきまさかず)先生―関先生は小学校の先生でしたけど、五十六歳で癌で亡くなりました。その癌で亡くなる一ヶ月前に細川先生に宛てた手紙と、また細川先生から関先生に宛てた手紙が掲載されていたんですね。この往復書簡を読んで初めて、小さい頃から自分がどうして今まで「わからない、わからない」と、これだけ悩み苦しんできたのか、その一端を見ることができたんです。
 
金光:  その内容を読んで紹介して頂けませんでしょうか。ゆっくりお願いします。
 
志慶眞:  読まして頂きます。これは関先生がお亡くなりになる一ヶ月前に細川先生に出した手紙ですけど、それを読ませて頂きます。
 

 合掌 先生、長い間ありがとうございました。このことばは何度いってもいい尽くすことができません。福岡学芸大学時代、本校で先生にお遇いし、仏法にあわせていただき、大きな世界のあることを知らせていただきました。あの当時二年制で教員になることも可能でしたが、四年制課程で本校に行けたことがいかに大きなことであったか、今にしてつくづく思います。先生にお遇いできたことが、最大の収穫でした。その後、卒業以来も久留米を中心に仏法を語っていただき、時に父のごとく、時に教育者ともなり、私を育んでくださいました。
 前後しますが、大学四年の時父がなくなり、その時先生にいただいた狷輪没する処、明星輝き出ずる如く、人生の終焉は永遠の生の出発である″ということばは、その当時私の大きな救いとなりました。そして、今、病床でこのことばをかみしめています。
 以来三十数年、先生のみ教を通し、夜晃(やこう)先生、親鸞聖人、七高僧、釈尊と連綿とつらなる深い歴史観を頂きました。このことは私の人生をいかに豊かにしてくださったことでしょうか。また、教育をしていきます上でも大きな励みとなりました。
 お念仏「南無阿弥陀仏(なむあみだぶつ)」をいただいた故に、生きることができ、お念仏いただいた故に死んでいけます。もし、お念仏におあいしていなかったら、今ごろこのベッドの上でのたうちまわっていると思います。肉体的にはたいへんきついです。すわるのもちょっとの時間でしかできないくらいです。でも、心は平安です。先生を通して、たくさんのお同朋をいただき、にぎやかです。先生、本当にすばらしい人生をたまわりましてありがとうございました。最後の一呼吸までは生きるための努力を続けます。先生、本当に長い間ありがとうございました。
 先生は、病気回復期ゆえ、どうかお体お大事になさってお同朋の大きな光となってください。ことばは尽くせません。ありがとうございました。
  平成五年六月二十四日         関 真和

 
これに対して細川先生が、二日後の二十六日に返事のお手紙を書かれます。実は細川先生も癌を患っていたんです。それで、
 

 関君、いよいよ大事な時になったなあ。この病気は後になるほど痛みが増すと聞いているが、君もさぞたいへんだろう。慰めようもない。南無阿弥陀仏。南無阿弥陀仏におあいできて本当によかった。これが人生のすべてであった。私は昨年十二月以来入院して、このことをいよいよ知った。君も同じだと思う。本当に良かった。南無阿弥陀仏。
 人間、最後の場に立ったとき、心に残るものが二つあるという。一つは死んだらどうなるのかという問題。一つは残った者はどうなるのかということ。
 諸有衆生(しょうしゅじょう) 聞其名号(もんごみょうごう) 信心歓喜(しんじんかんぎ) 乃至一念(ないしいちねん) 至心回向(ししんえこう)
 如来の至心回向によって、われらは信心念仏を賜わり、願生彼国と生きていく方向を知り、即得往生 住不退転 ここが浄土の南無阿弥陀仏となる。死ぬも南無阿弥陀仏、生きるも南無阿弥陀仏ただこのこと一つ。残った者は私の死を見て、何かを得て、それぞれの人生を歩む。私は願う、どうか良い縁を得て、この道に立ってくれよ、南無阿弥陀仏、と。このこと一つを願い、このこと一つを南無阿弥陀仏に托して歩んでゆく。すべてを如来におまかせして進むとは、この事である。こうして念仏道に立つ者には、残る問題は一つもない。
 関君、学芸大学時代から、田川、飯塚と、本当に長い間、よく聞法してくれた。有難う。君が一生かけて如来実在したもう証明者として生きてくれてうれしい。
 私の方が先に浄土に行っていると思ったが、君が先かもしれぬ。しかし、あともさきもない。皆、南無阿弥陀仏を生きてゆくほか道はありえない。よかった、よかった。君の人生、苦労もあり、誤りもあり、思うようにならなかったことも少なくなかったと思うが、人生の最後にあたって、感謝し、有難うございますと言える人は、白蓮華(びゃくれんげ)である。
 私は大分よくなった。あと何年かは働けるだろう。君の分も背負って、如来のため、報謝の一道を進みたい。
  六月二十六日           細川 巌

 
 これが往復書簡です。この往復書簡を読んで、その場で涙がポロポロ出て、自分の今までの迷いとか苦悩が洗い流されたような思いがしたんです。
 それは何かというと、自分が十歳の時からこえられなかった生死は、いわゆる煩悩が喘(あえ)いでいたんですね。『歎異抄』から言えば、「煩悩の所為(しょい)なり」と。その時に私の頭に浮かんだ言葉が、「ああ、自分はなんと冷酷無比だろう」と。冷たい目で世間を見て、人を見て、先生を見て、仏法を見て、「わからん、わからん」と言って、そういう具合に裁いてきたんだなと。その時初めて自分の正体に出会った。今まで自分の中に煩悩があると思ったけど、初めてこの身は煩悩そのものだと気づきました。その煩悩の身が実は仏さんに包まれている、そういう世界を生きてきたんだと。それがわからないために、「ああだ、こうだ」とか全部あげつらって、今まで生きて来たんだな、ということがわかった時、初めて先生に遇えました。細川先生にズッと会ってはいたけど、先生ではなかったんですね。要するに遠くから眺めている対象だった。その時初めて先生に遇えたと思った。関先生にも遇えたと思った。それが、僕を沖縄で立ち上がらせた。この仏法を、自分の生死を超えさせる教えに出会った感動を人々に伝えていきたいという思いで歩みが始まったんですね。
 
金光:  そこまでいくと、煩悩の塊が自分であるというとこまで気が付くと、その煩悩自体も、自分が妄念妄想で作られているもんだ、ということまで気が付くということですか?
 
志慶眞:  そういうことなんですね。今まで実体的に捉えていた煩悩が、実は私の妄念妄想であった。妄念妄想であるということがわかった時に、初めて妄念妄想を超えた世界が私の上に頷けるということなんですね。それが大きなことだったということなんですね。
 
金光:  妄念妄想についてのそういうご覧になり方が、今度はまた時期が後になると思いますけども、志慶眞先生にとっては、ドイツのマルティン・ブーバー(オーストリア出身のユダヤ系宗教哲学者、社会学者:1878-1965)の『我と汝』という本を読まれて、そこに書かれている世界もまた仏法の言葉ではないけれども、そういうふうにお感じになった自分のその精神生活を、またもう一度見直すと言いますか、新しい光で考え直すいいチャンスになったようなお話が紹介されていますので、ちょっとブーバーの考え方についてお話を聞かせて頂けませんでしょうか。
画像の説明
    マルティン・ブーバー
 

志慶眞: マルティン・ブーバーの話に出会ったのは、実は細川先生のお話をとおしてですね。それがきっかけでその本を取り寄せて読むようになったんですけど、この本の一ページ目を読んだ時に、僕は衝撃を受けました。一ページ目に、
 
世界は人間のとる態度によって二つとなる
 
と書いてある。私はそれまで「世界は一つで、私とは関係なく世界があって、その中に私がいる」という具合に、「世界は一つ」と思っていたわけです。ところが「世界は人間のとる態度によって二つとなる」という。
 
金光:  普通は、私が死んでも世界は限りなく動いているわけで、だから私がとる態度と世界の動きは関係がない、というふうに思うのが常識的かなと思っていたんですけども、そうではないと。
 
志慶眞:  それはものの一つの見方にすぎないということなんですね。どういうことかというと、ブーバーは「人間のとる態度は根源語(こんげんご)によって決まる。根源語とは対応語である」と言っているんですね。
 
金光:  人間が考えるのに言葉で考えますから、その言葉で一番根本のところを表しているのが根源語となるわけですね。
 
志慶眞:  そうですね。「どういう言葉を発するか」ということは、実は「どういう態度で生きているか」ということと直結しているわけです。ブーバーが言うには、「根源語」というのは「われ―なんじ」という対応語と、「われ―それ」という対応語なんです。
 
金光:  自分と「汝(なんじ)」という言葉で表現しているものがあるという関係と、「我」という自分が居て、「それ」という代名詞で対応する態度と二通りあると。どちらをとるかによって世界が変わるということなんですね。
 
志慶眞:  そういうことなんですね。「われ―それ」というときの「それ」というのは、物質化、対象化してみている物ですね。そうすると「われ―それ」という時、わたしは対象を物として見ている「われ」を生きているわけです。「われ―それ」として、物を「それ」として物質化して見ていると、「それ」を生きている物質化した「われ」私がそこにいるわけです。「われ―なんじ」というのは切れない関係性の世界なんですね。この「われ」は、「われ―それ」を生きている「われ」とはまったく違う「われ」となる。
 
金光:  「われ―それ」を具体的にいうと、あの人は自分に都合の良い人だとか、自分に何かしてくれる人だとか、この人は自分に都合の悪い人だとか、要するに相手の人間を、役割というか、物として見ているというわけですね。お金が大事な人はすべてお金で換算するように、それは物で見るわけだし、いろんな出来事もお金を元にして見る。するとそれは「それ」としてみていると。
 それに対して「なんじ」というのは、言葉でいうと、言いにくいかも知れませんが、一足飛びに飛躍して日本語でいうと、「仏さま」とか「神さま」とか、そういう昔から呼ばれているような言い方をすれば、そういう形のものを「なんじ」という言葉で表現していると受け取ってもいいでしょうか?
 
志慶眞:  そう思いますね。さっきも言いましたが「われ―それ」の「それ」として、例えば他の人を「それ」として「物」として見たら、人が物になるけれども、言っている私も物になる。ここが恐いところなんですね。他人を対象かして物としたら、私は物という世界を生きている物になる。だけども我々人間は、物としては実は生きられないから、そこに苦悩があるわけです。
 一方ブーバーは、「われ―なんじ」の「なんじ」は「全存在をもってのみ語ることができる世界だ」と言っている。要するに、私とあなたとの関係性の上で成立している世界なんですね。
 しかし、私が自分の分別でいくら「なんじ」といっても、私から出る「なんじ」というのは、「それ」という「なんじ」でしかないわけです。人間の方から言っている「なんじ」は「それ」でしかない。
 
金光:  お賽銭あげて、「よろしく頼みます」というようなのは、
 
志慶眞:  「それ」でしかない、ということです。
 
金光:  「それ」として見ている、ということですね。
 
志慶眞: 「なんじ」というのは、自分の煩悩の姿に気が付いた時に、私は「それ」として言って生きているけれども、実は私は、「それ」というものを超えた世界から呼びかけられている存在だと初めて気づかされる。
 
金光:  これは区別できない世界ですね。
 
志慶眞:  そうですね。
 
金光:  一体の世界の中にいるということに気が付かないと、そこのところは気付きがない。自分で気が付こうと思って考えると、それはもう分別の世界の話になってしまう恐れがありますし、そうではなくて、ある時いわば向こうからと言いますか、仏さまなり神さまなりの方からの、いわば催しというか、向こうからの働き掛けがあることに気が付くことによって、その世界に結び付く。煩悩というのも自分で気が付こうと思っても、真っ只中にいる場合には、煩悩に気が付くことができない世界にどうもいるみたいですね。
 
志慶眞:  そうですね。「われ―それ」というのは、初めから「それ」というものがあってですね、私の都合で「それ」を結び付けている世界ですね。
 
金光:  バラバラにあるものを結び付ける。
 
志慶眞:  それが「われ―それ」の世界。だから私の分別で都合の良いようにくっつけるわけです。色を付けて、私の色眼鏡で見た世界を構築するわけです。それが私が生きている煩悩世界、娑婆の世界なんです。
 ところが本来のもののありようというのは、本当は「相(そう)」がない、「無相(むそう)」なんです。全部繋がっている世界なんです。繋がっているけど、我々は区別はできるんですね。だけど分離はできない。切り離すことはできない。これが本来のもののありようの世界だと思うんです。そうであるならば、本来の一如のありようの無相の世界が関係付けられて私の上に届いている世界。それが私を超えたものから、私に呼びかけられている世界。物を切って「それ」としては生きていけない私に届けられた本来の世界なんですね。それが「われ―なんじ」の世界なんですね。僕が、往復書簡でぶっつかったのは、その世界なんですね。それまではずっと分別の世界を生きてきた。分別は山のように積み上げても分別でしかない。「なんじ」には展開しないんです。「それ」というものを積み上げたら「なんじ」になるかと言ったら、ならないんですね。質的な違いがある。僕は往復書簡で、初めて自分が「それ」というものの見方の世界で仏法を求めていて、お念仏も「それ」として理解しようとした。ところが、そうではなかった。そういう自分の姿を教えてくれるものとして、実は仏法というのがあった。それに気付いた時に、初めて自分がどういう世界を、「われ―それ」のちっぽけなエゴの世界を生きていたか、ということが見えてきたんです。見えてきたから、明日からは「われ―それ」の世界は無くなりますというわけではない。死ぬまで「われ―それ」の世界の住人だけれども、それを超えた世界に、実は私は生かされていたんだ、ということに目が覚めた時に、煩悩は煩悩のままで生きていける。僕は死ぬまで煩悩だけれど、仏さんはその煩悩に仕事をさしてくれていると思っています。初めて、僕に「われ―それ」という世界から、「われ―なんじ」の世界が届いた。ブーバーの教えによってはじめて、親鸞の教えの「本願」とか、「お念仏」とか、「浄土」というものが身に入ってきました。
 
金光:  今のお話を伺っていまして、例えば自分が煩悩の塊であって、「今日もこういう煩悩が湧いた」みたいなことを考えて気が付くと、「自分はなんてダメな人間だろう」と卑下したくなる、という心配もあるんではないかと思いますが、そういう自分の、いわばマイナス面に気が付いた時に、どういう処理の仕方と言いますか、対応の仕方、これはどういうふうに処理なさっていらっしゃるでしょうか?
 
志慶眞:  一つ詩を紹介します。私が以前に書いた「「卑下(ひげ)」と「懺悔(さんげ)」」という詩なんですけど、
 
『「卑下」と「懺悔」』

この二つの言葉の使われる世界は
明らかに異なる。
「卑下」は
私が私に対して発する言葉である。
「卑下」の世界には、
仏さんはいらない。
「懺悔」は
私が仏さんに対して発する言葉である。
「懺悔」の世界には、
仏さんがおられる。
「卑下」は暗く、
「懺悔」は明るい。
「卑下」は自縛であり、
「懺悔」は解放である。
 
金光:  「自縛」というのは、自分で自分を縛るということですね。
 
志慶眞:  そうですね。私たちはこんな自分と「卑下」しますが、仏法では「卑下」は「卑下慢(ひげまん)」というんですね。「卑下」も慢心です。
 だけれども、仏法を聞いて我々が自分の姿に目が覚めた時には、「申し訳ありません」「有り難うございます」ということしかないと思うんですね。
 
金光:  ということは、自分に言うんじゃなくて、仏さんに対して「申し訳ありません」「有り難うございます」と。
 
志慶眞:  「懺悔」というのは、頭を下げる対象がある。でも「卑下」というのは、頭を下げる対象がないんですね。自分で自分の始末が付けられると考え、自分で自分の始末を付けようとする。実はそれが「慢心」なんですね。僕はそういう意味では卑下して生きていました。仏法を聞かなかった方が楽だったとか、聞くのは辛い、いつ止めようか、そういう思いで歩んできた。
 
金光:  自分の中で処理しようとなさっていたんですね。
 
志慶眞:  「こんな私は」とか、「こんな自分では」とか、そういう思いだったんですね。往復書簡をいただいてから「こういう自分だからこそ、仏法を聞かなければいけない」と思えるようになったわけです。
 
金光:  そういうふうに、ご自分に対する姿勢が変わりますと、それ以前の小児科の先生として、患者さんに対する接し方、ご自分でやっぱり前と変わったな、とお考えになるようなことございますか?
 
志慶眞:  はい。いろいろ思うことがありますね。その前にちょっとお話をさして頂きたいんですけど、昔釈尊がおられた時に、維摩(ゆいま)さんがおられたんですね。維摩さんは、修行者が静かなところで修行しているのを、「それがあなたたちの仏法ですか」とか「世間のこの娑婆のみんなが苦悩しているところにこそ、仏道の場があるんではないですか」と言うので、修行者のみんなからちょっと疎(うと)んじられた。ある時、維摩さんが病気になったということを聞いて、誰かが見舞いに行かないといけないという話になったらしいんです。ところがみんな行くとやり込められるんで、誰も行きたがらなかった。ある時に、智慧を象徴する文殊菩薩が行くということで、修行者が何人も連れ立って行った。維摩さんが病床に伏しているわけです。「維摩さん、なんであなたはこうして横になっているんですか? 何の病気ですか?」と尋ねた。すると維摩さんが、
 
衆生病むゆえに 我病む
 
と。「多くの人たちがみんな病気なのに私が病気でないということがあろうか」と言ったんですね。
 そういう話なんですが、僕は小児科をやっているんで、「子病むゆえに 母病む」と、そういう具合に受け取るとよくわかるんです。子どもは病気で熱出して唸っているのに、お母さんだけピンピンして元気ということはないんですね。だから「子病むゆえに 母病む」。維摩さんの言葉が「子病むゆえに 母病む」と心に響いてきました。僕は小児科医院をやっていますが、お母さんたち、あるいは家族は子どもを連れて来るまでに不安だらけで来るわけです。子どもは病気だけど、お母さんは元気でニコニコということはあり得ないわけですね。不安を抱えて来るわけです。ある意味で病んでくるわけですね。そうであるならば、勿論病気そのものを治すことも大切ですけど、みんなが抱えて来る不安にどう向き合うかということが、実は小児科の自分の仕事の大切な部分ではないのかなと、思うようになりました。
 以前は仏道と日常の生活は別々だと思っていたけれども、実は日常の生きる場が、そのまま仏道の場ではないかと。それである時からですね、「我が身が念仏道場だ」と。普通は「世間が仏道の場」というけども、この我が身そのものが仏道の場であったら、そのままが、日常生活がそのまま仏道の場になります。
 子供が病気になってお母さんが来ます。例えば水疱瘡(みずぼうそう)になった。水疱瘡に罹ると、発疹がかれるまで十日前後、保育園に行けなくなる。その間、誰かが面倒を見なければいけない。みんなショックを受けるわけです。仕事が忙しいのに、こんな十日間も休んだらとか、みんな暗い顔になる。でも僕は、「お母さん、これは一生に一度のことで、この十日間は子どもと一緒にいられる貴重な時間ですよ。だからこの時間をムダにしないで、子どもと触れ合う貴重な場だと思ってください」。そうした時に初めて病気そのものも大きな意味を持ってくるわけです。
 我々も小さい頃に熱を出した時に、母が頭を冷やしてくれたり、心配したりしてくれた。それはやっぱり我々が生きていく心の支えになっているわけです。一つひとつの病気での出来事が、必ずしもマイナスではないと。我々が生きている場というのは、実は仏さんから賜った世界なんだと。それに気付くかどうかということが実は大切なんじゃないかなと思っています。
 
金光:  そういう話をされますと、お母さん達も、やっぱり態度は変わってきますでしょうね。
 
志慶眞:  明るい顔になって帰りますね。ついこの前も、夏休みに千葉から家族連れで沖縄の旅行に来たんですね。ところが来た途端に子どもさんが熱を出して、翌日病院に来たんです。あまり調子が悪いんで血液検査して点滴して、四日間ぐらい点滴で毎日通った。で、ほんとは沖縄に旅行に来たのに、こんな悲惨なことになって、お母さんは落ち込んでいるわけです。ホテルの中で毎日本を読んでいるだけだと言っていたんです。僕は、その時、「お母さん、実はこの沖縄に来て、子どもさんと一緒にズッと触れ合うことができる貴重な時間でもあるんですよ。一生の中でこういうことも、ああいうこともあったということは、きっと子どもさんの心にも残ることだから大切な時間だから全部マイナスではないんですよ」と。そうしたらお母さんがとっても明るい顔になって、ちょうど帰る前日に病気が治って帰って行かれた。帰ったらすぐ感謝のお手紙と、子どもの小さい手紙と絵本が送られてきたんですね。
 
 非常に不安で心配だったけれども、沖縄に行って、みんなにこういう具合によくして貰って、とても楽しかった、よかった。病気は残念であったけど、とても貴重であった。だから来年もまた沖縄に行きます。
 
と、そういう手紙をくださったんです。だから僕はこの日常の場そのものが、実は仏道の場だと考えて今は生きていますね。
 
金光:  いろんな時の、いろんなお考えを詩の形で発表されている中に、悩んでいらっしゃった悩みが、おそらく無くなった頃の作品ではないかと思うんですが、「念仏が私を止めた」というのがありますね。
 
『念仏が私を止めた』
 
「今日も悪く、
昨日も悪く、
明日もまたいよいよ悪い」と
 
自己の正体に目が覚めた時
人は天命に安んじて
永遠の今を生きる
人事を尽くす内なる人生が始まる
それを往生という
 
「天命に安んじて、人事を尽くす」
それを出世間道、仏道という
 
さっきおっしゃったことは、今の小児科のお医者さんとしてのお仕事が、いわば出世間道である、仏道である、ということになるわけですね。
 
志慶眞:  そのままです。だから「天命を安んじて」というのは、これは言葉を換えると「他力に安んじて」というか、自分が生かされているいのちに目が覚めて日常生活を送る。
 
金光:  昔から言えば、「人事を尽くして天命を待つ」というのが普通ですよね。それがこうひっくり返っているわけですね。
 
志慶眞:  そうですね。この言葉は清沢満之(きよさわまんし)先生の言われた言葉なんです。「天命に安んじて、人事を尽くす」ことも「人事を尽くして天命を待つ」ことも人事を尽くすことは同じなんだけど、自分の正体がわからないで、ただ一生懸命やるということは、実は迷いではないかと思っています。僕は外のことで内なる自己を満たそうとして走る以外ない人生を過ごしてきました。これが人生の空過(くうか)とは気付かずに。生ききれない、死にきれないと。
 
金光:  「空過」というのは、空しく過ぎるということですね。
 
志慶眞:  はい。ただ一生懸命やれば、なんとかなるという思いできたけれども、結局はどうにもならなかった。
 
金光:  でもそうですね。一生懸命いろんな勉強されたり、「こうかしら、ああかしら」ということでいろんな探求、いろんな方向でやって来られて、結局それは空しく過ぎたということになる。
 
志慶眞:  そうですね。振り返ればそれはそれなりの意味があったとは思うんです。初めて「歎異抄の会」に参加した時、「あなた自身に問題があるんじゃないですか」と問われた。自分に問題があったという気づきが仏道、仏法を聞き始めるスタート地点だったわけです。「今日も悪く、昨日も悪く、明日もいよいよ悪い」という自分の正体に目が覚めた時、そういう自分が実は生かされている世界が逆にこう見えてきた。
 
金光:  そうしますと、さっきもおっしゃいましたけれども、「昨日も今日も悪い」というところまではわかると、「明日も悪いかどうかはわからんではないか」というのが普通の人が考えることですけれども、「明日も自分だったら悪い」と、これが納得できると、それは見方が変わらないと納得できませんでしょうね。
 
志慶眞:  そうですね。「われ―それ」の世界をズッと生きていたんだけれども、わからないままに「われ―それ」の世界だけが世界だと。それで世界が一つだと思ってきたわけなんですね。だけども「われ―それ」の世界とは別に、「われ―なんじ」の世界が実はあった。それが驚きでした。しかし、私は煩悩の身ですから、死ぬまで「われ―それ」の世界に居るわけです。
 
金光:  「われ―それ」というのは、自分が何かを外に求めるわけですね。外にあるものを求めても、内は虚しいわけですね。
 
志慶眞:  「われ―それ」と物を対象化して、それを手に入れて、自分の身に取り付けて何かしようとするわけです。外のもので自分の中を満たそうとしているわけです。
 
金光:  それは明日になってもとてもそれではダメだと。
 
志慶眞:  死を前にしても間に合わんわけですね。
 
金光:  そのことに気が付くと違ってくるわけですね。
 
志慶眞:  物というのは、私が「あれ」とか「これ」とか分別するに先立って、実は一如の一つの大きな世界なんだと。その世界に気付いた時に、「あれ」とか「これ」とかあげつらっている自分の正体がはっきりするんですね。その時に、私を生かしめている大きな働き、一如の世界が頷ける。そしてその一如の世界は、ただ「ある」というだけでなくて、虚しく生きている私に、「それでは寂しいだろう、虚しいだろう、やりきれないだろう」と、私を大きい世界に出す働きを持っているんですね。その働きに揺さぶられた時に、初めて苦悩している悩んでいること自体が、実は仏さんからの呼びかけなんだと。今までは「南無阿弥陀仏(なむあみだぶつ)」という言葉を「それ」として、自分の方から理解しよう、掴もうと思っていたけれども、「南無阿弥陀仏」の方が私に「なんじ」と呼びかけていたと。
 
金光:  こういう詩もありますね。「何という世界を賜ったのだろう」ということを書いていらっしゃいますね。
 

『何という世界を賜ったのだろう』

我が身に起こる
いちいちの出来事が
私を照らす出来事
我が身に起こる全てが
私自身のいのちの内容だと
そう受け取れる世界が
開かれるとは
予想だにしなかった
何という世界を賜ったのだろう
南無阿弥陀仏
 
ということですが、「いちいちの出来事が、私を照らす出来事」ということになるんですか。
 
志慶眞:  はい。今までは、それを取り除きたいものであったわけです。
 
金光:  もう要らない、と。
 
志慶眞:  要らないと。でもそれがあることによって、私がどういう身を生きているかということがわかった時に、その起こった出来事は私を照らすものになるわけですね。逆に言えば、私のいのちの中身を教えてくれるものになる。今までは取って捨てたいと思った。「取って捨てられないものを、捨てられる」と思って、取って捨てようと、ずっと足掻(もが)いていた、悶えてきた。百パーセント煩悩の身ですから、その起こるべきものが、実は私が自分というものを見させて貰って、仏さんに会う一つの大きな道だった。
 
金光:  そうすると、別に捨てるわけにいかないですね。むしろ「私はこういう人間でございましたか」と、「よくぞ知らせて頂きました」というか、方向がそういう方向に変わるわけですね。
 
志慶眞:  そうですね。死ぬまで煩悩の身で「あれ」とか「これ」とか、あげつらっています。仏さんは私の煩悩に仕事をさせてくれている。だから僕が小児科医として働いている場所というのは、この煩悩の身でありながら、私は小児科医でこの病院で働くことができる。
 
金光:  こういう話をされている志慶眞先生も、いずれは亡くなられるわけで、私もそう遠くはない、もうそんなに長生きしないと思います、亡くなるわけです。死んでしまったらおしまいだ、灰になったらそれまでよ、という考え方も一般の人にはけっこう多いんじゃないかと思いますが、その灰になった後のことの考え方、これは先生はどういうふうに考えていらっしゃいますか。
 
志慶眞:  そうですね。最近よく「終活(しゆうかつ)」と言って、人間が死ぬ時のことが話題になることが増えていますね。それでよく言われる「直葬」と言って、病院で亡くなって、そのまま火葬場に火葬してしまうと。そういうことが都会ではかなりの割合で現実になっているという話を伺っているんですね。その中で人間が死んだら灰になる。その灰になるのは事実なんですけど、「灰をゴミだ」と思うか、それとも「灰も仏さんだ」と思えるかどうか。普通一般には「死んだら灰になるだけよ、ゴミになるだけよ」と。我々はどこかにそういう虚しさを抱えているわけです。「どうせ」という思いがあるわけなんですね。でも藤原正遠(ふじわらしようおん)先生という方に、ある人が、「先生、死んだらどうせ灰になるんじゃないですか」と言った時に、「いや、灰仏(はいぼとけ)というんですよ。灰も仏さんなんですよ」と。我々が、「灰がゴミになる」というのは、もともと我々が「われ―それ」という、「それ」という物として、自分も人生も見ていたから、灰はゴミになるわけです、物ですから。だけれども、「われ―なんじ」という関係性の切れない大きな世界を生きているのであるならば、灰そのものも、実は仏さんの世界なんですね。だから「灰も仏さんですよ」と、そういうことが言える。
 
金光:  「私が一人で生きているんだと。みんなそれぞれバラバラに一人で生きているんだ」と思う思い方と、「私は生かされているんだ」と。自分で生きていると思っているけれども、本当は自分の頭で考えた通りにはまったく生まれてくる時も、死ぬ時も、思った通りにいっているわけではなくて、違う働きのいのちの働きによって、そうなっているだけで、生かされている身であると考えるか、あるいは一人ひとり生きて一人が死んだらおしまいよ、と思うのかによって、その今のお話の考え方が分かれてくるのかなと思って伺ったんですが、やっぱり大きな繋がりの中に生かされているということに気が付く方と、そうでない方と考え方が大分変わってくるわけでございますね。
 
志慶眞: 我々はよく仏法で「生老病死(しようろうびようし)」と言って、そのうちの「老・病・死」はみんなわかるんです、「老苦・病苦・死苦」というのは。でも「生苦(しようく)」というのは、生まれる苦しみなんですね。それが何で生まれる苦しみかということがよくわからない。ある時、ハット気づきました。生まれる苦しみというのは、実は分別心を持って生まれることが「生苦」なんだ。我々は、物を分別するわけです。本来は「一如の世界」を分別して生涯を終えないといけない。それがやっぱり苦の始まりなんですね。だから「老苦・病苦・死苦」は「生苦」から始まる。生まれる時に自分がどこからきたかということを見失ってしまう。どこへ行くかというのもわからなくなる。だから僕は、「我々は孤児で生まれて、反逆児で生涯を送る」と言っているんです。そういうもののありようですから、亡くなる時には、灰とかゴミだけという分別心でしか物を見れないんですね。我々の生まれた時からの分別心、いわゆる良いとか悪いとか、勝ったとか負けたとか、得したとか損したとかいうものの見方が、私の「われ―それ」という世界を構築する。
 
金光:  物心付いてから固まってくる。
 
志慶眞:  どんどん固まってくるわけですね。でも本当は私の分別を超えた世界を賜っているわけです。自分でいのちをつくれた人は一人もいないんです。みな賜ったいのちを生きている。これが根源的な事実です。生きとし生けるものは、分別する以前の「われ―なんじ」という大きな世界を生きている。この私が、生まれる前も、今も、死んでからも、生死(しようじ)を貫いている大きな働き、阿弥陀のいのちを生きている。それを「一如」とか「仏」とか言っているんですね。そういう世界が一人の上に開かれるということが、私がただ灰になってゴミになって終わるんではない。私は大きな世界の中で生かされているんだと。生まれる前も、今も、死んでからも、仏さんの掌(てのひら)の中の出来事だ。もし現代人がそう思えないならば、みんな虚しく人生を終わる以外ないと思うんです。これが現代において、みんなが求めている点、願っている教えだと思いますね。
 
金光:  今のようなお話を伺いますと、私なんかも大きな世界に生かされているんだなということに気が付きますと、これからの生き方も非常に身近なことだけにとらわれないで過ごすことができるのではないかなと思いながら聞かせて頂きました。どうも有り難うございました。
 

powered by Quick Homepage Maker 3.60
based on PukiWiki 1.4.7 License is GPL. QHM

最新の更新 RSS  Valid XHTML 1.0 Transitional