浄土真宗

第41〜50回 案内文

『なるほど!! 仏教連続講座』の案内文  

第41回 2010年7月  

 ブッダに学ぶ「生死(しょうじ)をこえる道」という講題で講演会を始めて、今回で41回目となりました。
 宮城しずか先生は、「私が日1日と老いてゆき、そしてついには死んでしまうということが避けられない事実である以上、その事実をきっぱりと受けとめて生ききってゆける道こそが求められるのです」と言われました。
 この「生死の問題」は、個人的な問題であるだけでなく、万人に共通な普遍的かつ最も公の課題です。「生死の問題」を抜きにした仏道はありません。
 ご存知のように、釈尊の出家の動機は「老病死をどうこえるか」ということでした。また親鸞聖人の仏道の課題は、恵信尼公の手紙であきらかになったように「後世を祈る」ことであり、 それにこたえたのが法然上人の「生死いずべき道」でした。 
 この問題は深く掘り下げると、万人に通ずる根源的な世界が明らかになります。


第42回 2010年8月  

 かって仏道と言えば、〈戒定慧(かいじょうえ)〉の三学を修めて悟りを開くことでした。
  * 戒学(戒律を守る)・定学(禅定を修める)・慧学(智慧を身につける)
 しかし今から約800年も前、法然上人は「我等ごときは、〈戒定慧〉の三学の器にあらず」と苦悩され、 一部の優れた人しかなし得ない〈戒定慧〉ではなく、万人が往生浄土する(大きな真実の世界へ目覚める)道を求め、遂に如来の大悲によって選び取られた本願念仏〈称名念仏〉こそが時代に相応した確かな道であることを確信しました。
 親鸞聖人もたびたび「智慧の念仏」「信心の智慧」と言われているように、本願念仏をいただくことは、凡愚の身に如来の智慧が念仏として成立することだったのです。


第43回 2010年9月  

   月かげの 至らぬ里は なけれども 
        眺むる人の 心にぞ住む

  「永遠の〈いのち〉に触れてない個体生命はなく、それをみずから実感しないかぎり、人間の幸福はありえない」(法然上人の歌:町田宗鳳先生訳)

 私たちがひとりぽっちの孤独から救われるのは、永遠の〈いのち〉の通ったわがいのちであると知らされた時です。
 地位も名誉も財産もないよりあったほうがいいでしょう。しかし、ないよりあったほうがいいという相対的なものではなく、ぜひともなければならないものでしか人生の迷いはこえられません。ぜひともなければならないもの、それが永遠の〈いのち〉との出合いです。


第44回 2010年10月  

 〈いのち〉を表すギリシャ語に「ビオス」と「ゾーエー」があります。
 「ビオス」は「生物学的自然のいのち」、「ゾーエー」は「普遍的永遠のいのち」です。
 私達は日頃、生まれては死ぬ「生物学的いのち」しか、いのちと思っていません。そして人間のエゴはこの「生物学的いのち」に執着し苦悩します。
 「普遍的永遠のいのち」を、仏法は「無量寿」と表現し、生死を貫くこの「無量寿」との出合いの大切さを説いてきました。私物化しているいのちは、本来は永遠の〈いのち〉そのものであると気づくのは、エゴの迷いが破られた時です。
 その時、「ビオス」は光を放ち輝く!
 《 世界は永遠の〈いのち〉の表現、はたらき。》


第45回 2010年11月  

   成功も失敗もみんな夢のごとく過ぎてゆく
   その夢のごとき間に
   〈夢でないもの〉を見つけねばならん                                      (安田理深先生のことば)

 世間では、仏教とは何かを信じ込むことのように思っていますが、それは誤解です。
 私達は自我(エゴ)をもって生まれてくるため、生まれながらに自己中心の物の考え方、つまり偏見と独断で生きています。真実でない物を真実と思い込んでいるため、みんな夢・まぼろしのごとく過ぎてしまいます。
 仏教の仏とは仏陀の略で、インドのブッダを漢字で音写したものです。ブッダとは「目覚めた人」と言う意味です。つまり仏教とは「目覚めるための教え」、私達の偏見と独断をこえた真実の法(ダルマ)、〈夢でないもの〉を明らかにする教えです。


第46回 2010年12月  

 共にお念仏の道を歩んでまいりました長濱美智子さんが、11月25日 59歳でお浄土にお還りになりました。一緒に親鸞聖人流罪の上陸地「居多ヶ浜」(越後)を訪れた(2006年7月)のは忘れられない思い出です。
 『おはよう。もうすぐ朝食タイムです。昨日はお見舞い有難うございました。何かと他力のおかげと実感させられています。家も病院もそれなりに快適ですよ』と友人にメールするほどお元気でしたが、入院一週間余で突然帰らぬ人となりました。約9年間の闘病生活でした。
 「ミッちゃん、よく頑張ったですね、ご苦労様でした。あなたの『他力のおかげ』という言葉を拝見して、お念仏をいただいて無量寿の中を生きておられたお姿を思い出しています。親鸞聖人も『口伝鈔』で『たもつところの他力の仏法なくば、何をもってか、生死を出離せん』と言われていますが、まさしくそのとおりですね。」


第47回 2011年1月  

  「仏教の話を聞くとどうなるのですか?」
  「夜が明けます」

 マンゴを食べたことのない人にマンゴの味や香りやおいしさを伝えることはできないように、仏教を聞かない人に仏教の開く真実の世界を教えることはできない。機が熟して自らの足で、そこにおもむかなければ分からない。しかしたとえ足を運んでもすぐに理解できるわけではない。私たちは既にして自らのエゴの視点で物事を見て一つの世界をつくっているから、それを超えた視点などすぐには理解できない。仏教は聞かなければわからないが、聞いたからすぐにわかるわけではない。仏法を頂くのは難儀なことである。
「夜は明けましたか」:真宗王国と言われた北陸の挨拶でした。真実は私たちのエゴを破り、万物を生かしめている輝く世界を私たちに開く。夜は必ず明ける。


第48回 2011年2月  

 『インド仏跡巡礼の旅』
 釈尊は、私にとって特別な存在です。その出会いがなければ、今の私の人生はありません。釈尊が35歳で覚りを開いたブッダガヤ、最初の説法が行われたサールナート、80歳で入滅されたクシナガラなど釈尊の足跡を訪ねるのが長年の夢でした。
 旅行は、小山一行先生(筑紫女学園大学教授)のお誘いによります。先生の『釈尊の道』(出版:山喜房佛書林)を初めて手にしたのが1980年でした。仏教への偏見をただされ、本来の釈尊の教えに触れるような感動を覚えました。それから27年後の2007年に先生との出会いが実現し、そして今回の機会に恵まれました。目に見えない深いご縁を感じます。
 今回の『なるほど!! 仏教連続講座』は、ブッダが80年の生涯をかけて歩いた道をたどりながら、釈尊の教えとは何かをたずねてみたいと思います。


第49回 2011年3月  

 2月18日から3月1日までインドに行ってきました。
 福岡からシンガポールを経由して、コルカタに19日の夜、到着。コルカタの空港を一歩出るともう別世界。あらゆる物が混ざり合ったような異臭と薄暗い中をけたたましくクラクションを鳴らしながら走り抜ける車、車、車‥‥。小雨が降り、裸電球が揺れている軒下にミイラのようにころがっているものがたくさんある。バスの窓ごしに目を凝らすと、毛布のような物にくるまって寝ている人間。ハッと胸を突かれた。
 翌早朝、ホテルの裏通りが窓から見える。昨日の喧噪が嘘のようなたたずまい。朝もやの中、水を天秤棒で担いで行く人、頭に野菜をのせている人、材木と人を乗せているリヤカー、門の外で椅子をおいてタバコをのんでいる人、気持ち良さそうに寝そべっている犬二匹、屋根のてっぺんには小鳥。まるで映画の一シーンを見ているような風景。こうしてインド仏跡巡礼の旅は始まった。
《今回、12日はインド旅行のホヤホヤの報告もします》


第50回 2011年4月  

 今回、『なるほど!! 仏教連続講座』は第50回目を迎えます。第1回は、2006年9月でしたから約4年半が経過したことになります。
 生死の問題で苦悩する人々と仏法を頂く場を共有したいとの思いで、毎月の講演会と月2回の読書会を始めました。これまで実に多くの方々がこの会を支えて下さいました。そして沢山の貴重な出会いもありました。先に浄土に還って行かれた、謝花勝一さんと長濱美智子さんとの出会いは決して忘れないでしょう。お二人は身をとおして、生死を超える生き方を教えて下さいました。私もまた生涯を尽くして、仏法が届けた真実を身をもって証(あかし)していきたいと思っています。
 《この世の真実とは何か?人間の真実とは何か?》
 記念すべき第50回は、『大無量寿経』『歎異抄』をとおして、親鸞聖人の届けた浄土真宗を頂きたいと思います。
 求める人にしか、真実は明らかになりません。


関連項目  


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