浄土真宗

第21〜30回 案内文

『なるほど!! 仏教連続講座』の案内文  

第21回 2008年8月  

 私が小児科医になって初めて死と向き合ったのは、生後一ヶ月のミユちゃんでした。先天性神経芽細胞腫の進行癌でした。
 必死の治療のかいなく眠るかのように亡くなりました。何でこんな小さい子がなくならないといけないのだと、無念さと不条理な現実に涙があふれました。お母さんは泣きはらしていました。
「わずか一ヶ月余りしか生きれなかったミユちゃん。まるで死んで行く為に生まれてきたような人生の意味とは何だろうか。」
 それは同時に、死すべき生を生きている自分の人生の意味を問うことでもありました。
 小さきは小さきままに尊く、皆、仏さんの手のひらの中。命の尊さは長さでは測れない。これが仏の眼(まなこ)。

第22回 2008年9月  

 聖徳太子は「世間虚仮(せけんこけ)、唯仏是真(ゆいぶつぜしん)」(世間は嘘いつわりで、ただ仏のみが真実)と言われました。
 私たちが生きている「世間」は「よろずのこと、みなもてそらごとたわごと、まことあることなき世界」(親鸞聖人)、「常に生死に往来する世界」(龍樹菩薩)です。「世間」がすべてであるならば、せっかくの人生は台無しです。この「嘘いつわりの世界、流転の人生」を超える道はあるのでしょうか?
 龍樹菩薩は「迷いの世間を出ることの可能な道(出世間道)がある」と言われました。仏道は、私たちの上に人生をいきいきと生きることのできるその世界(唯仏是真)を必ず開きます。それが釈尊以来、数えきれない無数の人々が歩いて確かめた真実の道です。


第23回 2008年10月  

 マルティン・ブーバーは「世界は二つある」と言われました。
 身のまわりのすべてを対象化し自らの手段として見る「われーそれ」の世界と、すべてはわたしと切り離すことのできないつながり合った大いなるいのちのはたらきとして見る「われーなんじ」の世界です。「われーそれ」の「われ」と「われーなんじ」の「われ」は、まったく生きている世界が違います。
 まわりのものを「それ」にしてしまうとわたしもまた「それ」という“物質”になってしまいます。そのため、“物質”としては生ききれないわたしたちには苦悩がつきまといます。
 「われーそれ」しか生きてない「われ」に、いのち響きあう「われーなんじ」の世界はどのように開かれるのでしょうか。人生の“一大事”とは思えませんか?


第24回 2008年11月  

 先回からブーバーと唯識の話しをしています。   

私が(なんじ)と呼ぶに先立って
私が(なんじ)と呼ばれていた驚き
(南無阿弥陀仏)と無始以来
私を(なんじ)と呼びつづける声があった

 
「われーなんじ」のつながりあったいのちの世界にいながら、自らのエゴのために「われーそれ」の分断した通じ合わない世界を作り出して自ら苦悩しているのが私たちです。「われーそれ」の「われ」しか生きてない自らの迷妄性、罪悪性に目が覚めた時、はじめて大いなるいのちの世界に《なんじ帰れ!》と呼ばれていることに目が覚める。


第25回  2008年12月  

      だいひむけんじょうしょうが
     「 大 悲 無 倦 常 照 我
    (如来の大慈悲は倦む事なく
     常にわたしを照らしたもう)
 
 謝花勝一さんの大好きなことばでした。
 共にお念仏の道を歩ませていただいていました勝一さんが、12月8日に突然浄土にお還りになりました。十数年以上の闘病生活でした。縁あってここ二年間、読書会や仏教講演会など親しくさせていただきました。いただくお手紙には、新聞記者時代に無理をして痛めつけた自分の身体への謝罪が綴られ、そしていつも家族への心からの感謝と仏法に遇い得た喜びにあふれていました。  
 様態が急に悪化したとの連絡があり、何度かお訪ねしました。「勝一さん、お念仏に遇えてよかったね。」と耳元で話しかけると、うなずいておられました。如来の大慈悲に照らされ、生死の迷いを超えて広い豊かな世界を生きられ、お念仏に還って行かれました。合掌


第26回 2009年1月  

 ひとりぽっちの孤独から、われわれが救われるのは、如来のいのちの通ったわがいのちであると知らされた時です。お念仏(南無阿弥陀仏)は、その根源のいのちへナムして生きよとの如来の名のり。

    耳を澄まして聞いてみよう
    法蔵菩薩(如来)の願いを
      いと小さき者よ
      何にか心を悩まして生きる
      汝 ただちに来れ

  釈尊以来、沢山の人々が生死を超えた誓願の誠に生かされて、永遠の今・ここを生きる人生が開かれました。

   『摂取して捨てざれば阿弥陀と名ずく』 


第27回 2009年2月  

 今、川べりに咲くヒカンザクラが美しい。
 自然はまぶしい。

 診療の合間に裏のプランターで野菜を育てている。ラディシュの根が丸く赤くなり、大根葉とチンゲンサイとサラダ菜が青々としている。収穫は虫との競争だ。
 小さい頃から土いじりが好きだった。土に触れ、植物を育てる以上の趣味はないと今でも思っている。
 毎朝、病院に着くと植物が迎えてくれる。しおれていると「水が欲しい」と吐息が聞こえる。あわてて水をやる。雨の後は「おはよう」という元気な声が聞こえる。イキイキして輝いている。
 人間も植物も平等ないのちを生きている。しかしこのいのちを長らえるために他のいのちをいただかなければならない。このいのちは、無量のいのちによって支えられている。いつの日か、他のいのちを取らなくてもいい定めの日まで申し訳なくもありがとうといただく。合掌
  

第28回 2009年3月  

 仏教でいう衆生(しゅじょう)とは、人間だけでなく生きとし生けるものということです。しかし、私たちは人間も宇宙や自然の一部である事を見失って、人間だけが特別な存在であるかのごとく人間中心の世界を生きています。そういう人間中心の思いで汚された世界を仏教では穢土(えど)、生きるのに耐え忍ばなければならない世界ということで娑婆(しゃば)とも言います。
 1500年前にインドに出られた龍樹菩薩は、人間中心の思いで汚された生死の迷いに往来する生き方は空しい世間道で、それを超える出世間道に出ることをすすめられました。
 そして多くの人々が出世間道の教えに耳を傾けて、一切の衆生を生かす大いなるはたらき、いのちの根源に合掌して豊かに生きてきました。
 仏法は、自分が人間中心の狭い檻の中で生活していることに気づかしめ、そしてその限界をこえていくおおいなる真実の道をあきらかにします。


第29回 2009年4月  

 「生死をこえる道」の「こえる」とは何か。
 「こえる」には「越える」と「超える」があります。
 「越える」とは、「人生とはこんなものよ」と自分の思いを固めて生死に向かう事です。
 仏教でいう「超える」とは、自分の思いを固めるのでなく、私たちを生かしめている大いなるいのちに目覚めて、真実の道理によって生死に向かう事を言います。


第30回 2009年6月  

  忘れられない釈尊の逸話があります。
 ある日、いつものように釈尊は托鉢に出かけました。日照りが続き固くなった地面をひとりの農夫が耕しています。はかどらない仕事とままならない収穫のため、釈尊を見るといまいましそうに言いました。「俺らは朝から晩まで汗水たらして固い地面をたがやしている。それなのにあなたはいったい何を耕しているのか?」すると釈尊は静かな口調で言われました。「私は人の心を耕しています」と。
 釈尊は人々の固い地面のようなかたくなな心に、照る日も曇る日も恵みの雨を注いで耕やすかのごとく、仏法を生涯をかけて説き続けました。その法は人々の固い我執の殻を破り、本来のいのちの芽吹く大地をあきらかにします。
 「法を拠り所として生きなさい。人生は短い。怠る事なく精進して道を成就しなさい。」これが釈尊の遺言でした。その願いに耳を傾けてみたいですね。


関連項目  


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