浄土真宗

第101〜110回 案内文

『なるほど!! 仏教連続講座』の案内文  

第101回 2015年8月8日  

講題:《 歎異抄に聞く(50) 》
 前回は100回記念の講演会とパーティーを開催しました。沢山のご参加ありがとうございました。150回記念に向けて、皆さんとともに新たなスタートです。よろしくお願いします。

夕やみせまり 足を止め 空を見上げる 
西の空に金星 輝く 
夜空には星々 瞬く
宇宙が 在るって何だろう
空間が 在るって何だろう
時間が 在るって何だろう
気がつけば不思議のまっただ中 南無


第102回 2015年9月12日  

講題:《 歎異抄に聞く(51) 》
 仏教は何かを信じ込むことでも、単に世の中でどう生きたらいいのかを教える処世術でもありません。我執を超えた真実の世界を明らかにする智慧の教えです。この迷い多き人生に、人が決して悔いることのない生き方があることを明らかにします。仏教の教えに耳を傾けてみませんか。ご参加お待ちしています。

 自照社出版から本『如来のまなざしの中を』(定価 本体2,000円(税別))を刊行しました。多くの方がたに読んでいただけると嬉しく思います。
               (「まなざし聞法道場」でも販売中)


第103回 2015年10月10日  

講題:《 歎異抄に聞く(52) 》
 どの人にも必ず死がおとずれる。その事実とどう向き合えばいいのか。地位も名誉も財産もないよりあったほうがいい。しかし釈尊がそうであったように、ないよりあったほうがいいという相対的なものでは生死は超えられない。死があってもなおかつむなしくないといえる根源的世界への目覚め、生と死を貫く絶対的真実への確かなうなずきがなければ生死の苦しみは超えられない。


第104回 2015年11月14日  

講題:《 歎異抄に聞く(53) 》

「祝婚歌」 吉野弘

  二人が睦まじくいるためには
  愚かでいるほうがいい
  立派すぎないほうがいい
  立派すぎることは
  長持ちしないことだと気付いているほうがいい

  完璧をめざさないほうがいい
  完璧なんて不自然なことだと
  うそぶいているほうがいい

  二人のうちどちらかが
  ふざけているほうがいい
  ずっこけているほうがいい

  互いに非難することがあっても
  非難できる資格が自分にあったかどうか
  あとで疑わしくなるほうがいい

  正しいことを言うときは
  少しひかえめにするほうがいい
  正しいことを言うときは
  相手を傷つけやすいものだと
  気付いているほうがいい

  立派でありたいとか
  正しくありたいとかいう
  無理な緊張には
  色目を使わず
  ゆったり ゆたかに
  光を浴びているほうがいい

  健康で 風に吹かれながら
  生きていることのなつかしさに
  ふと胸が熱くなる
  そんな日があってもいい

  そして
  なぜ胸が熱くなるのか
  黙っていても
  二人にはわかるのであってほしい


第105回 2015年12月12日  

講題:《 歎異抄に聞く(54) 》

 歳をとりたくない。病気をしたくない。死にたくない。自分の好きな人といつまでも一緒に居たい。嫌いな人には絶対に会いたくない。自分にとって気持ちのいいことだけをしたい。欲しいものを手に入れたい。手に入れたらいつまでも放したくない。いつまでも生きていたい。ところが、私たちのその切実な願は常に裏切られる。なぜだろうか?
 人生に問題があるのか? 私に問題があるのか?
 人生が自分の思いどおりにはならないのは、私たちの心の中の「無明(真実の道理を無視・自分への激しい執着)」が原因であると、仏教は説く。
 私たちはさまざまな周りの人や物のおかげで、一定期間、生きることが許されている無我的・縁起的存在である。そのことに目が覚めた時、実は「今、ここ」を生かされていることに感謝する人生が開かれる。


第106回 2016年1月9日  

講題:《 歎異抄に聞く(55) 》
 三帰依文(意訳)             志慶眞文雄 作(まなざし仏教塾)

この世に人間として生まれることは希有なこと。この世で仏法を聞く機会に遇うのはさらに希有なこと。それなのに今、こうして人間として生まれ、仏法を聞く機会に恵まれたということは何と尊いことか。

もし人間に生まれたこの機会に、迷いを超えることができなければ、いったいいつ迷いを超えることができよう。

共に仏法を聞くご縁に恵まれた皆さんと、三宝(仏・法・僧)を依りどころとして人生の迷いを超えていきたい。

私の人生に何がおころうと、仏を依りどころに生きてゆきます。多くの人々と共に、迷いを超える真実の道に目覚めたい。

私の人生に何がおころうと、法を依りどころに生きてゆきます。多くの人々と共に、仏教の御教えを深く学び、迷いを超えてゆく真実の智慧をいただきたい。

私の人生に何がおころうと、生涯をかけて仏法を届けた沢山の師と仏法で結ばれた大切な仲間を依りどころに生きてゆきます。多くの人々の願いを我が願いとし、人生にいかなる苦難があろうと共に迷いを超えてゆきたい。

仏法の深い御教えに遇うことは希有なできごと。それなのに今、その御教えを聞き、我が身の上に受けとめる機会に恵まれたということは何ということでしょう。人生の深い意義を説く如来のおこころを、生涯をかけていただいてゆきます。南無阿弥陀仏。


第107回 2016年2月20日  

講題:《 歎異抄に聞く(56) 》

 日頃、私たちは何気なく「生まれる」とか「死ぬ」という言葉を使います。しかし、「何が生まれ、何が死ぬのでしょうか」。そもそも「生まれるとは何でしょうか?」「死ぬとは何でしょうか?」
 人間は釈尊以来、2500年もの間、こうしたことを問い続け大切な事を明らかにしてきました。これが仏教の歴史です。(たとえば諸法無我・諸行無常)
 ご一緒に教えに耳を傾けてみませんか。これまでとは違う、新たな視点がきっと開かれるにちがいありません。


第108回 2016年3月12日  

講題:《 歎異抄に聞く(57) 》

 日頃、私たちは人間の計らいを根拠に分別してものを考えます。しかし仏教は人間の計らいを超えた世界を根拠に分別してものを考えます。同じ分別ですが、その分別を成り立たせている根拠が違います。
 仏教を聴かない日頃の心では、人間の計らいを超えた世界ということがなかなかうなずけません。その世界は、仏法を真剣に聴くことで必ずひらかれます。そこに生死を超える道があります。


第109回 2016年4月9日  

講題:《 歎異抄に聞く(58) 》

 4月8日は釈尊の誕生を祝う「花祭り」です。

 釈尊よ、あなたは生老病死の現実に深く苦悩し、それを超える道を求めて、我々が命のごとく執着して止まない「国と財と位」を棄てて独りで旅立たれた。あなたの命がけの求道がなかったならば、私は光りなき暗闇の世界で一生を終っていただろう。あなたを思うと胸があつくなる。


第110回 2016年5月14日  

講題:《 歎異抄に聞く(59) 》

      生死をつらぬく
       ひとつのことば
       南無阿弥陀仏


関連項目  

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