浄土真宗

第 1〜10回 案内文

『なるほど!! 仏教連続講座』の案内文  

第1回 2006年9月16日  

 最近、世界の人口は推定65億と公表されました。遠からず90億に達するでしょう。しかし65億の人口が90億になっても地球の重さ(質量)は変わりません。なぜなら地球上のものが人間となりそしてまた地球上に帰るだけですから。広くは宇宙に誕生し宇宙に帰るということですが、仏教はそのことを一如から誕生し一如に帰ると教えます。
 ただその人間をふくめた存在の有り様には法則(ダルマ)があります。それをブッダが2500年前に発見しました。私たちの生きていくこと死んでいくことの苦悩はその法則(ダルマ)を知らないがためだと教えています。
 毎月1回の連続した仏教講座を行います。ご一緒に仏教の教えに耳を傾けてみませんか。きっと仏教との出会いが、人生への新しい視点をあなたに開くはずです。


第2回 2006年10月14日  

 第1回を9月16日(土)に開催しました。あいにく台風13号が沖縄に接近し天気が悪く、開催できるか心配していましたが、強風の中を30名以上の方がお見えになりました。これからも仏法を求めている方々と、一緒に歩めるこの場を開き続けていこうと思います。
 2500年前ゴータマ・シッダルタは生老病死の課題をかかえて出家し、ダルマ(法)を悟りブッダ(覚者)となり、その生涯を伝道に尽くされました。先回は、そのダルマによって明らかにされた人間の存在の有り様を見てみました。引き続いてブッダが明らかにした教えを現在の私たちの身近な出来事をとおして考えてみたいと思います。


第3回 2006年11月11日  

 日頃、私たちは現実が自分の思い通りにならないということに悩んでいます。仏教はその自分の思い通りにならないことを「苦」ととらえ、その「苦」を超えること、すなわち解脱(げだつ)を究極の目標にしてきました。
 そのために「苦」がどのようにして生ずるのかをまず見極め、そして「苦」を超える道を明らかにしてきました。
 その教えは時代とともに、さまざまな地域に広がりながら多くの人々のいのちの灯火(ともしび)となり現在に続いています。


第4回 2006年12月9日  

 皆さんお元気ですか。
 師走となり、今年最後の『なるほど!! 仏教連続講座』を12月9日(土)に開催いたします。これまで沢山の方々がおいで下さいました。ありがとうございます。

 釈尊は老病死に苦悩し、29才で国と地位と財をすてて出家し、35才、明けの明星が東の空に輝く早朝、「ダルマが至り届いた、不死が得られた」と宣言し大悟しました。この大宇宙の一切のものは因と縁によって生じている真理(縁起の法)を発見し、どうしたら苦を超えて「今、ここ」を生きれる人生が開かれるかを人々に説いて80年の生涯を終えました。
  『 釈尊よ
   あなたが深い苦悩を超える道を求めて
   独りで旅立たれることがなかったならば  
   私は光りなき暗やみの世界で一生を終っていただろう
   あなたを思うと胸があつくなる 』


第5回 2007年1月  

 新年あけましておめでとうございます。        
 私たちは四大(地・水・火・風)でできているという教えが、仏教にはあります。地とは大地、水とはみず、火とは太陽、風とは空気と考えると、どの一つが欠けても生きていけません。地・水・火・風に代表されるように、私たちは因縁和合によって心身一切を賜りました。髪の毛一本も自分が造ったものはありません。大いなるはたらきによって、生まれながらにして絶対的に受容されてこの世に誕生したのです。そのことに目覚めたとき、この身を賜ったことがこのうえなく尊く思われます。
 しかしながら日頃はそのことに感謝することもなく生活しています。ご一緒に仏教が明らかにした世界をたずねてみませんか。


第6回 2007年2月  

  ひとはなぜ苦しむのでしょう・・・
  ほんとうは
  野の花のように
  わたしたちも生きられるのです
          (『生きて死ぬ智慧』柳澤 桂子)
 
 「私たちも野の花のように生きたい!」
 しかし私たちの毎日は苦悩の連続で、野の花のようには生きれません。私たちは命に人に物に激しく執着し、思い通りにならないことに苦しみます。貪(むさぼ)りの炎、瞋(いかり)の炎で身を焼かれ疲労困憊して一日を終ります。それが人生であるならばこんなつらく悲しいことはありません。
 釈尊は、煩悩の心の人間が、野の花のように生きていける世界を「涅槃寂静(ねはんじゃくじょう)」と2500年前にあきらかにしました。


第7回 2007年3月  

 布施とは、仏教における修行のひとつで、何らかの行為を「ありがとう!」と感謝しながらさせてもらうことです。 自己中心のちっぽげな心しかもたない者が、布施をさせてもらうことで、少し広い心を仏さんからいただくということでしょう。
 そこで仏教は、この身ひとつあれば身近な人にできる布施とし【無財の七施】を勧めています。 

  1. 眼施(あたたかい眼差しで接する)  
  2. 和顔悦色施(にこやかな表情で接する)  
  3. 言辞施(やさしい言葉がけ) 
  4. 身施(精一杯のおこない)  
  5. 心施(いつくしみ深いこころ) 
  6. 床座施(人にあたたかい席を用意する) 
  7. 房舎施(気持ちよく迎えるこころがけ)

 すべてのいのちは平等でつながりあっていることを心して、いつでもどこでもそのように接することができたらいいですね。


第8回 2007年4月  

 地震、津波、台風、、洪水などが各地でおこっています。これは自然災害ですが、私たちの身と心も災害に見舞われっぱなしです。心身を揺さぶる地震、わたしを一遍に押し流す津波、わたしを吹き飛ばす暴風雨、わたしを溺れさす洪水。
 人はどうして悩まないといけないのでしょう。病を抱え、老いに不安を抱き、死の暗い影におびえ、愛するものとの別れに苦悩し、恨みや憎しみのなかで心身を焼かれ苦しむ。不安な眠れない夜を幾たびも過ごさなければなりません。この娑婆世界で生きて行く事は、容易ならざる事です。もしこのまま人生を終るとしたら、人生とは何だったのでしょうか。
 しかし仏教は、私たちの苦悩をこえていく道を明らかにしました。人々を立ち上がらせる教えとは何でしょうか。


第9回 2007年5月  

 うりずんの季節をいろどる白いイジュの花が、新緑の山々に咲きほこる季節になりました。皆さん、お元気ですか。
 私たちが生活している世間を仏教ではサハー(娑婆)といいます。サハーとは堪忍土で、私たちが生きていくには苦しみを堪え忍ばねばならない所だという意味です。
 『そのサハーで、あなたは何を指針として生きていますか?』
 自分の信念、家族、財産、健康、仲間、職場、知識、地位、名誉などでしょうか。しかし仏教徒が生きる指針にしているのは違います。2500年前の釈尊の時代から、仏教徒は「仏・法・僧」という三つの宝(三宝)を指針にして生きてきました。私たちがとなえる「人身受け難し、いますでに受く。〜」の三帰依文は、その表明であります。


第10回 2007年8月  

 抜けるような青い空、コバルトブルーの海、白い雲。くま蝉の大合唱。いよいよ夏本番ですね。
 思えば、人間も蝉も木も海も山も雲も一切のものが切り離す事の出来ない深い関係にあります。仏教はそのことを「山川草木悉皆成仏」「有情非情同時成道」と表現してきました。有情(人間、動物など)も非情(草木、山河、大地、海、雲など)も皆、つながりあっている大いなるいのちの表現です。しかしながら私たちは、自分中心の思いで豊かな生命の世界を断ち切り、その結果生きる場を見失っています。この迷い多き人生への指針を仏教の深いみ教えは2500年も説き続けてきました。

  • 去った7月14日は第10回の講演会の予定でしたが、台風4号の直撃と大雨のためやむなく中止しました。大雨の中を来られた方々がおられたようで、この場をかりてお詫び申し上げます。
     この講座は、「どう生きたらいいのかわからない、死ぬのが怖い」と、生死の問題で悩まれている方々に開かれた場です。仏教の教えに耳を傾けてみたい方なら、宗派も年齢も男女も問いません。仏教は本来、人間の思い込みや偏見を照らす智慧の教え、「なるほど!!」とうなづかれる大きな広い真実の世界を届ける教えです。身近な友人知人をさそって気軽においで下さい。


関連項目  


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