浄土真宗

大いなる一枚のいのちに帰れ

大いなる一枚のいのに帰れ  

 私は10歳の時、「自分がいつかこの地上から消えてしまう」という恐怖と虚しさに襲われて以来、生死の問題を片時も忘れることができずに今日まで生きてきました。肉体の死がすべての終わりとしか思えない虚しさと、現に存在するということの世界の不可思議さの中で揺れ動いてきた日々でした。
 そして不安に気持ちが押しつぶされたとき、思い出すのは釈尊でした。老病死が若きゴータマ・シッダルタの問題になった時、王子という地位も財も家族も一切が虚しく、生死を超える道を求めて旅立つ以外に生きていく道はなかったに違いありません。
 また親鸞聖人が山を下りて六角堂にこもられたのは、「後世を祈らせ給いける」「後世の助からんずる縁にあいまいらせん」ためであったと「恵信尼消息」は伝えています。20年間にもおよぶ比叡山での学問と修行を棄てねばならぬほどに、聖人は生死出ずべき道が見つからず苦悶されていたのでした。
 私たちの最大にして最後の問題は、生死をどう超えるかという問題ではないでしょうか。生死の問題を抜きにした仏道など私には考えられません。
 ご存知の方もあるかと思いますが、鈴木章子さんの『癌告知のあとで』という本があります。彼女は北海道のあるお寺の坊守でしたが、42歳のときに乳癌を告知され、癌が肺や脳に転移して47歳でお亡くなりになります。生死に苦悩している章子さんにたいして、替われるものなら替わってあげたいという悲痛な思いを抱きながら80歳を過ぎた実家のお父は「あなたは、一体何をドタバタしているのか。生死はお任せ以外にないのだ。人知の及ばぬことはすべてお任せしなさい。生死はあなたが考えることではない。自分でどうにもならないことをどうにかしようとすることは、あなたの傲慢である。ただ事実を大切にひきうけて任せなさい」という手紙を届けます。
 生死を超えた章子さんは、「私にとりまして/生と死/同意語と肯けます」という詩を残しています。生と死は反対語としか思えない世界から、生と死は同意語とうなずける世界に突き抜けた人生でした。「生と死は同意語」とは何とすごいことばでしょう。
 正信念仏偈の「帰命無量寿如来」「南無不可思議光」は、生も死も支えている一枚のいのちの世界へ帰れというよびかけですね。ご一緒に大いなる世界を訪ねてみましょう。

 
そして法然上人は「後世の事は善き人にも悪しきにも、同じように、生死出ずべきみちをば、ただ一筋に仰せられ候いし」とあります。
 聖人が課題にされたのが「後世」「生死出ずべきみち」であったことがわかります。比叡山での20年にもおよぶ学問と修行ではその課題は超えられず山を下り、法然上人に遇ってはじめて大きな世界にでました。その感動を「雑行を棄てて本願に帰す」と『教行信証』に記しています。
 聖人は自らの課題をどう超えたのでしょうか。その課題を超えれた感動のことばが、『歎異抄』第1章の「弥陀の誓願不思議にたすけられまいらせて、往生をばとぐるなりと信じて念仏もうさんとおもいたつこころのおこるとき、すなわち摂取不捨の利益にあずけしめたもうなり」であり、正信念仏偈の「帰命無量寿如来」「南無不可思議光」でしょう。
 

powered by Quick Homepage Maker 3.60
based on PukiWiki 1.4.7 License is GPL. QHM

最新の更新 RSS  Valid XHTML 1.0 Transitional