浄土真宗

小さきは小さきままに

  小さきは小さきままに   

 生まれてまだ1ヶ月もたたないミユちゃんが大学病院に紹介されてきたのは、研修医一年目の時でした。
 腹部が異常にふくれていて原因が分からないと紹介されてきました。ホルモンの検査とCT検査で副腎に癌の原発巣がみつかり先天性の神経芽細胞腫と診断しました。子供の病気では白血病に次ぐ代表的な小児癌で自然治癒も有るのですが、ミユちゃんの病期(1〜4)は4の進行癌でした。残念なことに生まれたときすでに転移をしていたのです。
 小児外科医や両親と相談して、原発巣を手術で除去することにしました。自然治癒もある病気ですから原発巣を取り除けば転移した癌も縮小することもあるのではないかとの判断でした。しかし、腹部が今にも破裂しそうなほどにふくれあがり、すぐには手術は不可能だとのことで、まず放射線治療で腹部を小さくすることが話し合われました。
 ミユちゃんの泣声は弱々しく、ミルクもなかなか飲めません。お母さんはいつも静かに子供に寄り添っていました。父親は県外に働きに行っていて、ほとんど顔を見せませんでした。
 初めて主治医として小児癌を担当し、文献を検索し治療法を検討しました。ミユちゃんを放射線治療に連れて行きながら、「このまま死んでしまったら、ミユちゃんはいったい何の為に生まれてきたのだ。何とか助けたい」と、必死の思いでした。
 その願いが通じたかのように、放射線治療の効果が出て、腹部は小さくなってきました。
 いよいよ時期を見て手術だというときに、ミユちゃんは眠るかのように亡くなりました。突然のお別れで、頭の中が真っ白になりました。医者になって主治医として子供の死に立ち会うのは初めてのことで、ミユちゃんの亡がらは、両手のひらに収まるくらいの小ささでした。何でこんな小さい子がなくならないといけないのだと、無念さと不条理な現実に涙があふれました。お母さんは泣きはらしていました
 四十九日が過ぎてから、お母さんが挨拶とお礼にとたずねてきました。医者になりたてで病気に立ち向かうのに必死で、お母さんの気持を十分に理解して対応できたとも思えませんでしたし、ミユちゃんを死なせてしまった申し訳なさで一杯の気持でしたので、思いもよらない訪問に救われたのは私の方でした。
 小児科医になって主治医として初めて体験した子供の死は重く、ずっと私に大きな問いを投げかけてきました。「わずか一ヶ月余りしか生きれなかったミユちゃん。まるで死んで行く為に生まれてきたような人生の意味とは何だろうか」仏教の教えを聞きながら、 医者としてずっと自問自答を繰り返してきました。それは同時に、死んでいかなければならない生を生きている、自分の人生の意味を問う歩みでもありました。
 最近、聖路加国際病院小児科医の細谷亮太先生のお話を聞く機会がありました。先生は、200名以上の子供達を看取った癌治療の専門医ですが、これまで出会った子供たちの死について、「生まれてたった四歳や七歳という、これから人生を歩いていこうという年齢の子供たちが、病気になり死と向き合い、苦しい治療を受け、運悪く治ることができなかった子は死んでいく。この現実をどう受け止めたらいいのでしょうか」と問うておられます。
 そして沢山の子供たちの死を看取る苦悶の歩みの中から、「人生には受け入れなくてはならないつらいことがあるということを、子供たちがある荘厳さをもって教えてくれたのです。人生には、長い短いなどはない。懸命に生きる、結果としてそれぞれが完結するということを知りました」と述懐しています。同感ですね。
 小さきは小さきままに。皆、仏さんの手のひらの中。
 2008,8

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