浄土真宗

教えを聞けば「いい自分」になれると思っていたけれど・・・

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志慶眞延子(しげまのぶこ)
 1949年、熊本県生まれ。沖縄県うるま市在住。沖縄出身の志慶眞 文雄さんと結婚し、1987年に沖縄県へ。 夫婦で「ま な ざ し仏教塾」を主催。

教えを聞けば「いい自分」になれると思っていたけれど …

浄土真宗との出会い

―まずは、延子さんが、真宗の教えに出遇われたきっかけをお聞かせいただけますか。

志慶眞 私の実家は日蓮宗の檀家で、祖父は寺の総代をしていました。祖父の朝夕の勤行の姿、太鼓や木魚の音は今でも耳に残ってます。小さい頃から、祖父に連れられ、お寺参りもしていました。そういう環境で育った私が、今こうして真宗の教えに出遇い聞法しているのがとっても不思議です …。中学・高校の時の親友が大谷派のお寺の方だったことで、真宗にご縁をいただきました。その友だちのお寺で、若者対象の「歎異抄の会」があり、その時に初めて『歎異抄』にふれました。「高校生の集い」に参加したり、二十代の頃は県外で開催される聞法会にも参加しました。

―その頃に、現在のお連れ合いである文雄さんと出会われ結婚されたのですか。

志慶眞 彼が広島大学大学院生の時に結婚し、私も大学の事務職に就きました。ほどなくして、広島大学会館で福岡教育大学の細川巌先生の「歎異抄の会」があることを知り参加し、そこから真剣に教えを聞くようになりました。
 私と夫とは、性格がまったく逆で、彼は深く物事を考え込むというか、生きることがしんどいと感じているというか …。それも結婚してからわかったんですが(笑)。
 結婚当初、夫は「何で、みんなあんなに楽しそうに生きられるんだろう」って私に聞くんです。私は「楽しいから楽しいんじゃない」と応えていました。その時は、私の中にはそういう感性はなかったので、なんでそんなことを聞くのかと不思議でした。
 実は、彼は十歳の時に突然、人間が死んでいくとか、自分が地上から消えるという恐怖感に襲われたそうです。小・中・高校もずっとその恐怖とむなしさを抱えたまま、大学・大学院に進学し、そこで宇宙の成り立ちや物質を構成する一番小さい素粒子の研究をしていました。しかし、そこでも、自分が消えてなくなるという生死の問題は解決できないと、途中で博士課程を退学し、方向転換して医学部に入学しました。
 その一方で私は、毎月、細川先生の「歎異抄の会」に参加していました。先生の本を家に置いていたら、夫は気になって見たりしていましたね。夫に「そんなに苦しいのなら、一緒に仏法を聞きに行こう」って誘ったのですが、絶対に行かなかった。「今の葬式仏教で、自分の抱える生死の問題は解決できない」というのが理由だったようです。
 でも、七年ぐらいたった頃から、夫が「医学部に合格したら細川先生の話しを聞いてみようかな」って言ってくれて、医学部進学と同時に「歎異抄の会」に参加するようになりました。その頃は、何年か後には沖縄に帰るということが決まっていたので、会座があれば時間を惜しんで一緒に聴聞に行きました。

沖縄で教えを聞くということ

―その後、文雄さんの故郷である沖縄に、一緒に帰られるんですね。

志慶眞 はい。広島では、夫と一緒に聞法できるご縁に恵まれたのですが、生活習慣のまったく違う沖縄に帰って、私はカルチャーショックで自分を見失い、すっかり自信をなくしてしまいました。これまで「教え」を聞いてきたんだからどんな困難があっても乗り越えられるって勘違いし自惚れていた自分、今までわかったと思っていたが、本当は何一つわかっていなかった自分に気づかされ、聞いてきた教えが吹っ飛んでしまいました。
 沖縄に帰って五年目に夫が小児科医院を開業しました。その時、同じように沖縄での聞法の歩みに行き詰まりを感じていた夫が、病院の二階に「聞法道場」を開きました。もう一度教えに向き合ってみようと …。その後、沖縄開教本部主催の「人生ゼミナール」の会所にもなり、そこで沢山の先生方のお話を聞く機会に恵まれました。
 沖縄は、祖先崇拝が根強く、お寺に教えを聞きに行く習慣がほとんどないんですね。でも、この聞法道場には、老病死の問題や根源的な苦悩を抱えて来られる方が沢山おられます。

―門徒だから真宗の教えを聞くというのではなくて、どの人にも、そういう課題があるから、そこに集まって来られるのですね。

志慶眞 そうですね。七年ぐらい前から毎日自宅を開放して、「朝の会」をやっています。九時から十時半頃まで「三帰依文」と「正信偈」のお勤めをします。その後、仏教書を読み、その本を通して響いた言葉や感じたことを出し合うのですが、お互い忌憚なく声を出せる場です。仏さんの前に座らせていただく貴重な時を賜った思いがしています。
 沖縄でのいろんな先生との出会いや、沖縄の方々との出会いは私にとってありがたい大切なものです。
 振り返れば、石川県の和田稠先生、藤場常清先生との沖縄での出会いは大きな支えとなりました。石川県へ夫が講演会に行った時、和田先生から知人を通してぜひ会いたいと連絡があり、先生のお寺でお会いしました。先生がお浄土に還られる半年前のことでした。体調もあまり良くないご様子でしたが、先生は「これが最後です。沖縄、お願いしましたよ」と、夫と堅い握手を交わしていました。
 常清先生はつい先日お浄土に還られました。先生は第二次世界大戦の時に通信隊員として沖縄に来られ、首里城で玉砕命令を受けられたそうです。玉砕命令を受けるということは、もう死が決まっているということでしたが、万が一、生きて帰れたら信心を獲たいと思われた。つまり、この沖縄が自分の信心の出発点だったということをお話しされました。毎月送られてくる機関誌に添えられるお手紙には、必ず「ご両輪さま」と書いて、「沖縄にお念仏の花が開いてよかったよかった。ナムアミダブツ ナムアミダブツ」と。

―志慶眞さんの長い聞法の歴史が、沖縄にも届いたのですね。

志慶眞 ええ。ただ、今思えば、その時その時は、一生懸命聞いてきたつもりです。仏法はすばらしい教えだから、いつかはわかるんだと。その聞いている私が本当に問題になってくるまでには時間がかかりましたね。自分がどこに立っているのか問うこともなく、どこまでも自分を磨くための手段として学んできたような思いがあります。そうした私の歩みが、揺さぶられ崩される出来事がありました。

初めて自分を問われた

志慶眞 「汝 忠実に教えに聞け」というテーマで毎週輪読会をしたり、真剣に聞法した年がありました。そうした中で自分の抱えている闇、問題が見えてきたと思った時があったんですね。
 ちょうどその年に、宿泊研修の場で感話をさせてもらう機会があって、自分の感じたことをお話ししたんです。その時にある先生から、「うまいこと話すな」って言われたのですね。その言葉が心にグサッと刺さりました。自分では、「ああ、よかった。自分の問題がわかった」と思っていた時だっただけに、頭の中にガツンときて、ショックと言うか…。「うまいこと」って …と。それが私にとって、これまでの自分が本当に崩された転換点でした。

―具体的にどういうことに気づかされたのですか。

志慶眞 「教えを学んでいる」というところに満足していたのでしょうね。考えてみたら、私はどちらかというと、誰とでも仲良くなれる、合わせていける性格なんです。それがいいことだって思っていました。でも、そこには、私は善人だという善人意識が根深くあったんだと思います。
 以前から夫は、私の問題はこの「善人意識」と「優等生意識」「柔らかい殻」と言っていました。「そんなことない!!」って反発し続けてました。身近な人の指摘はなかなか頷けないものです。「柔らかい殻」というのも、どういうことを意味しているのか分かりませんでした。むしろ、堅い殻より柔らかい殻の方が破れやすいからいいとさえ思っていました。しかし「柔らかい殻」だから、教えを聞いて「ああ、そうか」と頷いても、自分の都合のいいように解釈して取り込んでストンと元に戻ってしまう。マシュマロみたいに。堅かったら、教えられたことで、ビリビリってヒビが入って痛いとか冷たいという感覚が生まれてくるんでしょうが …。
 その「柔らかい殻」は自分の思いでは破れない。どんなに闇が深いかと言う事を思わされます。

聞かなくてもいい自分が願われていた

―ところで、その出来事以降、志慶眞さんは何か変わられましたか。

志慶眞 いいえ、私自身はまったく変わりません(笑)。やっかいなことにまた、「善人意識」をもっているのが私だということがわかった」と、その「わかった」に満足して収まろうとしている自分がいるんです。
 でも、そういう中で迷っている自分を見せてくれるもう一つの視点をいただいたというのでしょうか。迷いの中でしか生きられない人間の相を教えてもらった。全体として自分の性格も、やっていることも変わらないのですが、そういう姿勢でしか仏法を聞けない自分があるからこそ、教えを聞く、仏さんの前に座らせてもらえる。そういうところがとても楽になりましたね。

―自分一人の考えからは出ない感覚が生まれたのかもしれませんね

志慶眞 そうですね。自分の中からはとても生まれてこない。だから、以前は、教えを自分自身の問題として聞いていなかった。
 でも、教えというのは、教えを聞くことによって、思い込みや思い違いの中でしか歩めない自分の姿を見せてくれる。こういう思いは自分の中からは出てこないですよね。如来のま な ざ しで照らし出されたというか …。
 親鸞聖人は、「雑毒の善」って言われますね。私はずっと心の底で善人になりたい、教えを聞けば善人になれるって思って聞いてきたんです。だから『真宗聖典』を読んでいても善人になりたい私の思いで読んでいる。その私が毒そのものだなんて思ってもみなかった。
 最近、『歎異抄』第九章にある「仏かねてしろしめして」の言葉がとても心に響くんです。その教えに遇うと胸が熱くなります。夫のように深く生死を考えることもなく、物事を表面的にしか捉えることしかできない、いい加減で世間の価値観にどっぷりとつかり、本当は教えを聞かなくても間に合うと思っているような自分。そういう私の全体が仏様から願われ続けているんだと …そう思うと、熱いものが込み上げてきます。(了)      

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