浄土真宗

感謝:「金光寿郎さん(NHK元ディレクター)へ」

感謝:「金光寿郎さん(NHK元ディレクター)へ」  

                              志慶眞文雄

                         a:284 t:2 y:1 from 2021.6.19

 金光寿郎さんが、2020年1月19日に浄土に帰られました。92歳でした。2020年正月明け早々入院されそのまま旅立たれたとのことです。もう直接お目にかかれないと思うと寂しいですね。

 金光さんとの出会いのことなどあれこれ思い出している間に一年半が経過してしまいました。政治、経済、娯楽、文化などの番組や報道は世の中に溢れていますが、そうした世間の日常の世界とは全く別次元の宗教に欠かせない世界を提示し続けて来られた金光さんが、いかに大きな存在であったかを実感しています。長年、全国津々浦々に宗教の世界を届けられ、多くの方々がその恩恵を被ったに違いありません。私もその一人であります。

 金光さんから3回インタビューを受けました。沖縄の片隅でお念仏を頂いて生きていくことで十分だと考えていた身には、まったく思いもよらない出来事でした。後から振り返ると金光さんのインタビューは、私が仏道を歩む上で常に一里塚となるような内容でした。その出会いに感謝し、思い出、インタビューの経緯、対談の内容などを紹介して「金光さん、有難うございました」と心からお礼の言葉を捧げたいと思います。

 かつて金光さんからこんな事を伺いました。大学卒業後NHKに就職しディレクターをしている時、ある番組でインタビューを担当する予定のアナウンサーが急に具合が悪くなり、ピンチヒッターでディレクターの金光さんがインタビューをすることになりました。それがきっかけでその後、金光さん自身がインタビューも担当することになったとのことです。

 しかし、宗教番組の担当は大変だったようです。それまで宗教とはほとんど係わりのない生活だったので、手探り状態で歩まれたようです。仏教を学ぶため、協和発酵工業の会長をされ在家仏教協会を設立された加藤辨三郎さんのお話をよく聞きに行かれたとのことでした。それが金光さんの求道のスタートでしたが、その後担当された番組は金光さん自身の求道の歩みそのものでした。一宗一派にとらわれることなく広くて深い見識で沢山の方々と対談をされ、私たちに宗教の開く世界を届け続けました。現代における大乗菩薩道を生涯かけて歩まれた方だと心から敬愛しています。

 私が金光さんとご縁を頂いたのは、2004年NHKラジオ深夜便 こころの時代への出演でした。その経緯はこの「まなざし仏教塾」ホームページの『NHKラジオ深夜便出演の波紋』に掲載してある通りです。その時の対談がホームページに掲載してある『生死を超える道へ(NHKラジオ深夜便:こころの時代)』です。予想もしないような反響があり、それがきっかけで全国各地へ講演に行くようになりました。

 そして2014年、金光さんからEテレこころの時代への出演依頼がありました。ラジオ深夜便の出演から10年が経過していましたが、金光さんの担当される放送番組はたいてい拝見していたのでいつも身近でした。再び声がかかるとは思いもしないことで驚きました。「そろそろ沖縄の志慶眞先生にと企画しました」との話でしたが、私は戸惑いながら「10年前と同じ話しか出来ないと思いますが」と言うと、「先生、かまいません。もう皆、忘れていますから」と即答されました。金光さんにお会いできるのが嬉しくて出演を受託しました。電話では大まかな日程を告げられただけで、インタビューのテーマなどについての話はありませんでした。

 10年前のラジオ深夜便の録音の時は金光さんひとりで来られたのですが、Eテレこころの時代の録画は、金光さん、ディレクター、撮影、録音、照明、小道具など8名のスタッフで来られました。自宅での録画ということで病院から自宅に移動し、ほとんど打ち合わせらしい打ち合わせも無いまま対談が始まりました。少し緊張気味でスタートしましたが、次第にテレビの録画のことなど気にならなくなりあっという間に終わってしまいました。

 録画が終了してから、毎回打ち合わせらしい打ち合わせがないことを不審に思って金光さんに尋ねました。すると、打ち合わせをするとその流れに沿ったインタビューになってしまって、えてしてつまらない番組になることがある。それで資料の準備だけして、出たとこ勝負のインタビューを心がけているとのことでした。仕事上の秘密を知り納得しました。その時の対談がホームページに掲載してある『NHK Eテレ こころの時代『第二の誕生』』です。日ごろは一日にホームページを開く人は40〜50名ほどですが、放送されたその日は800名を越え、再放送後は総計3000名を越えました。あらためてマスコミの影響の凄さを知りました。


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 それから一年後の2015年8月29〜30日に第15回ビハーラ医療団研修会が京都・龍谷大学で開催されたとき金光さんにお会いしました。研修会に参加されるとは伺ってなかったので嬉しくて懇親会も同席しました。写真はその時のものです。





 2017年の夏頃だったと思いますが、金光さんから電話がありました。「先生、NHKラジオ第二の宗教の時間に出ていただけませんか? 先生のインタビューを最後に引退を考えています」ときりだされました。引退という言葉でドキッとしながら「何のインタビューになりますか?」と尋ねたところ「分別と無分別というテーマを考えています」と話されました。金光さんからテーマを決めてのインタビューは初めてのことでした。「分別と無分別」という、ことばで表現することの困難な重いテーマを30分のラジオ番組で対応できるか一瞬考えましたが、これが金光さんとお会いできる最後の機会になるかも知れないと思い、「わかりました。スケジュールが決まりましたらご連絡ください」と了承しました。

 しかしその後、金光さんは以前に患った脳梗塞の後遺症もあってかケガをされしばらく旅行は困難となり、対談を延期してほしいとの電話が直接ありました。私は「声をかけていただいただけで光栄です。無理はなさらにで下さい。対談は中止でもかまいません」と申し出ましたが、金光さんは「いいえ先生、必ず伺います」とのご返事でした。

 それから金光さんは数ヶ月自宅療養をされ、車椅子で飛行機に乗り沖縄にインタビューに来られました。2017年12月13日でした。「志慶眞先生を東京に来ていただこうかという話しもしたのですが、金光さんが沖縄でのインタビューを希望されたので心配で付いて来ました」とNHKのスタッフの方が二人同行されました。杖をついての訪問でしたので、診療を終わってそのまま診察室でのインタビューとなりました。その時の対談がホームページに掲載してある『NHKラジオ第2 宗教の時間 「如来の眼差しのもとで」』です。2018年1月21日の放送でした。後日、金光さんから「貴重な有難い信心の機微を聞かせていただきました」とのお葉書が届きました。忘れることのできないお言葉です。私にとっても仏教の本質とも言える「分別と無分別」というテーマでのインタビューは記念すべき対談でした。

 金光さんはきっと自らが担当された宗教番組を通して、多く方々が自らの生死の迷いを超えて欲しいとの願いで番組を担当されていたと思います。身体が動かなくなるまで、まさしく不惜身命の歩みでした。金光さん、有難うございました。

合掌                 南無阿弥陀仏
   

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