浄土真宗

『歎異抄』に学ぶビハーラの道 

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『歎異抄』に学ぶビハーラの道

  ――― 人は自力から他力へどう転回するのか? ―――

沖縄での聞法活動  

 皆さま、こんにちは。沖縄で小児科医院を開業している志慶真(しげま)です。
 近況報告から始めます。病院の二階の「まなざし聞法道場」で約二十三年間、仏教講演会や読書会をやってきましたが、二〇一五年八月から臨済宗の崎山宗源老師が約二十年前に沖縄で始められた《般若の会》で年に二回講演をしています。この《般若の会》の講演がきっかけで、二〇一六年三月からジュンク堂書店那覇店で毎月一回、仏教連続講座を開催しています。一〜三回までは「ブッダに学ぶ生死を超える道」という講題でしたが、『歎異抄』の話が聞きたいとの要望がありましたので、四回目からは「《歎異抄》に学ぶ生死を超える道」という講題で話をしています。毎回四十名前後の方々がお見えになります。
 昨年の暮れに法友、立津(たてつ)勝次(かつじ)さんが浄土にお還りになりました。七十二歳でした。沖縄の地方紙『琉球新報』に掲載した生死の問題についての私のコラムを見て、五年ほど前から『まなざし仏教塾』の「講演会」や「読書会」に来られるようになりました。そのころ「全身が痛くて仕方が無い」と辛そうに言われるので、「どこか悪いのですか」と聞くと、「いや先生、身体中に癌が転移して、もう治療はしていません」と言われました。『まなざし仏教塾』では月に「読書会」が二回(約六時間)、「講演会」が一回(約二時間)あるのですが、那覇市首里から車で往復約二時間かけて毎回参加されていました。ヘビースモーカーで、休憩時間になるとたばこを吸いに外に行っていました。私が浄土真宗や念仏の話をすると、「念仏と呪文とどう違うのか?」、「こんな話を聞いて助かるのか?」など、よく独りごとのようにぼそぼそと言っていました。
 しばらくお見えにならないので、友達の方に電話をして「立津さんはどうしていますか」と尋ねると、入院をしているということでした。勝手に押しかけていっても困るかもしれないと思ったので、「会いたいけど、いいですかね」と伝言を頼みました。しばらくして、「『先生に会いたい』と言っています」ということでしたので、那覇市にある病院で友達の方と待ち合わせて妻と三人で会いに行きました。
 ずっとベッドで寝ておられるのかと思っていたら、入院室の前ですれ違いました。苦笑いして「ちょっと、用事があるので」とエレベーターで降りていかれました。どこへ行かれたのかと思って待っていると、たばこがないと震えが止まらないので、たばこを買いに売店まで行ってきたということでした。何冊かの仏書とクラシック•ギター曲をCDに録音して持って行きました。立津さんは友達の方と、クラシック•ギターのサークルでお知り合いになったようです。しばらく病室で仏教や病状の話をしました。「死ぬのは怖い」と正直にお話しになっていました。しかしかつての屈折した態度や表情はなく、別人かと思うほど終始穏やかな表情でした。「立津さん、またお会いしましょう。ただお念仏ですね。」と別れました。しばらくして、ホスピス専門の病院に転院したと連絡がありました。年末にはお見舞いに行こうと予定している時に、浄土へお還りになったという知らせがありました。今から思えば、お会いしたときの穏やかな表情は、自らの死を自覚されていたからだと思われます。約五年間、命がけの聞法でした。
 立津さんは生前、ご自分のことはほとんどお話になりませんでした。それでかってに身寄りのない人なのかなと思っていましたが、実はある会社の創業者・取締役で、後を息子さんに譲っての闘病生活でした。私は診療のため告別式に行けなかったので、妻が行きました。たくさんの方々が葬儀にはお見えになって、びっくりしたとのことです。
 後日、友達の方から「『念仏の教えに遇えて本当によかった』と喜び、お浄土へ還るまで仏書を読みお念仏を申されていた」とうかがいました。沖縄でもお念仏をいただいて往生浄土の素懐を遂げる方々が誕生しています。
 以前お話しした謝花(じゃはな)勝一(かついち)さんもそうでした。新聞記者の方で、十六年間がんを患い、絶望的な思いのなかでお念仏の教えにあい、約二年半、聞法をされました。お念仏の教えを聞きひらき、「大悲無倦常照我」という言葉に心を打たれて亡くなられました。
 私は、お浄土へ還られた方々といつも共にいるような思いの中にいます。


ビハーラは生死を超える道  

 私は小さい頃から、満天の星空を見上げるのが好きでした。十歳のある日、星空を見上げているとき突然、この星空を見れない日がいつか来ると思ったとき、死の恐怖、虚しさ・寂しさで立ちつくしてしまいました。それ以来ずっとこの生死の問題に揺さぶられてきました。結果的にはそれが、私が仏道に遇う貴重なご縁になりました。
 今日の講題は「『歎異抄』に学ぶビハーラの道」です。ビハーラにもいろいろな側面があると思いますが、私自身は、ビハーラは本質的には「生死を超える道」、つまり「往生浄土の道」・「往生極楽の道」だと受けとめています。
 『歎異抄』第二章(東六二六頁 ・ 西八三二頁)【ここで「東」というのは大谷派の『真宗聖典』、「西」とは本願寺派の『浄土真宗聖典』のことです。以下、同じ】には、

 おのおの十余か国のさかいをこえて、身命をかえりみずして、たずねきたらしめたまう御こころざし、ひとえに往生極楽のみちをといきかんがためなり。

とあります。
 「往生極楽」について、金子大栄先生の著書『歎異抄』に次のような興味深い話があります。

 往生極楽の道というものを明らかにするためには、まず、極楽とはどんなところであるか、往生とはどんなことであるかを、吟味しなければならないかもしれません。しかし、そういうことをやろうとすると、ずいぶん繁雑なことになります。手っ取り早く考えるために、往生極楽の道の逆を考えてみますと、往生ではなくて死んで往くのですから往死、そして死んでいくのは嫌であり苦しいのだから、往死極苦の道。また、死ぬことを思うと真っ暗になるということであれば、往死黒闇の道といえましょう。

 短い文章ですが、この娑婆で、私たちがどのように生きているかを見事に言い当てています。娑婆;世間;穢土で、「どうせ、死んでしまう」という先の暗い絶望的な思いを抱いて、死に向かって歩んでいます。見かけ上は愉快で楽しそうにしていますが、その根底には「どうせ、死んだら灰になって終わるだけだ。人生に意味などない。自分さえよければいい。」という刹那的な思いがあります。それはニヒリズムとエゴイズムで、現代人の病巣ですが、基本的には普遍的に人間が抱えている闇でしょう。それはまた、私が長年、「生き切れない、死に切れない」とさまよってきた心の情景でもあります。
 「往死極苦」を、私は「往生浄土」の対の表現として「往死穢土」と言いかえてみました。私たちは仏道に遇わなければ、「穢土」に往死していく存在です。これが世間を生きる私たちの「世間道」の姿です。
 そのことを龍樹菩薩は、『十住毘婆沙論』(東一六二頁 ・ 西一四七頁)で、

 「世間道」をすなわちこれ「凡夫所行の道」と名づく。転じて「休息」と名づく。凡夫道は究竟して涅槃に至ることあたわず、常に生死に往来す。これを「凡夫道」となづく。

と、述べています。「凡夫道は究竟して涅槃に至ることあたわず、常に生死に往来す」とは、『教行信証』信巻(東二一五頁 ・ 西二一八頁)にある善導大師の「機の深信」、

 「自身は現にこれ罪悪生死の凡夫、曠劫より已来、常に没し常に流転して、出離の縁あることなし」と信ず。

に相応します。『十住毘婆沙論』のことばは続きます。

 「出世間」は、この道に因って三界を出ずることを得るがゆえに、「出世間道」と名づく。

とあります。「出世間道」とは、「往生浄土の道」・「往生極楽の道」です。これはまた、「法の深信」、

 「かの阿弥陀仏の四十八願は衆生を摂受して、疑いなく慮りなくかの願力に乗じて定んで往生を得」と信ず。

に相応します。
 「世間道;凡夫道」を歩むものは、常に生死を往ったり来たりするだけで、そこから出ることはできません。それが「出離の縁あることなし」です。この哀しい存在の私たちに、法蔵菩薩の大悲が注がれ願いがかけられ、本願力によって「世間道;凡夫道」を超える「出世間道」が開かれます。
 天親菩薩は『浄土論』で「仏の本願力を観ずるに、遇うて空しく過ぐる者なし」と言われましたが、裏をかえせば、本願力に遇わなければ私たちには、この娑婆で朽ち果てて死んでしまう「往死極苦の道」・「往死穢土の道」しかないということです。そう考えたとき、私たちが浄土に往生するという本願念仏の教えに遇えたことが、どれほど大切なことであるかがわかります。
 この教えは「真実のいのちの領域」に人間を解放する、時代や国や人種を超えた普遍的な教えです。今の時代だから伝わらないとか、国や人種が違うから伝わらないということはありません。しかしながら、こんな大切で普遍的な教えを、私は長いことなかなか頷けませんでした。その経緯を少しお話ししたいと思います。


お念仏との出遇い  

 私が仏法を聞くきっかけは『歎異抄』との出遇いでした。
 高校を卒業して、沖縄から愛媛大学工学部の電気工学科へ進学しました。死ぬから人生は虚しいとずっと思って生きていました。しかしある時、何のために生きているのかがわからなければ、永遠に生きることは永遠に地獄のような毎日が続くだけだと思いました。そのとき、死ぬことも虚しいけれども、今を生ききれないことが自分の問題だと気づきました。今にして思えば、それは仏道に直結している大切な気づきでしたが、そのころはどうしていいかわかりませんでした。
 自分もいずれ死ぬ、人類もいずれは滅亡する。そうであるならば、生きることは無意味だとしか思えませんでした。しかし一方、小さい頃から興味のあった「物の在ることの不可思議さ」や宇宙論や天文学を勉強してから死にたいとの思いがありました。それで大学を卒業してから一年間浪人をして、広島大学大学院•高エネルギー物理学素粒子研究室に進学しました。止むに止まれぬ思いで受験しただけで、学部学科も違うので正直、合格するとは思っていませんでした。大学時代は生きるのがつらく、夜も眠れないので、ウイスキーを飲みながら物理の本をむさぼるように読んでいました。それが力になったのでしょうか・・・。
 大学院で素粒子の研究をするという夢のような年月が過ぎました。修士課程から博士課程に進学して二年目ぐらいのとき、教授から「就職先があるけれども、志慶眞君、行かないか?」と言われました。しかしちょうどその頃、科学的なものの考え方では自分の生死の問題は超えられないということを感じて、行きづまっていました。このような精神状態で研究者になることは無理だと思い、就職を断り大学院を中退しました。物理学者になるという夢をあきらめる辛い決断でした。研究室の皆が帰った夜中の二時〜三時ごろ、妻と一緒に研究室に行って、タクシーに荷物を全部積んで夜逃げをするように研究室を後にしたのを、今でも思い出します。
 大学院生の頃から大学受験予備校で非常勤講師をしていたので、取りあえず生活は何とか維持できました。沖縄には、小さい頃から私のことをかわいがりずっと気にかけている祖母がいました。もう行く当てもないので、祖母のいる沖縄に帰ろうと思いました。しかし何か手に職をつけなければ帰れません。ちょうどそのとき医者になった友人が、「志慶眞君、これからどうする? 医学部を受験してみないか?」と言ってくれました。祖母のもとに帰りたい一心で医学部受験を決断しました。二十八歳でした。予備校で勉強を教えていたので、「彼らでも受かるなら、俺でも頑張れば受かるかな?」と思っていました。しかし、これが安易な考えで、広島大学医学部に合格するのに五年間かかりました。
 大学院博士課程に進学する時に結婚しました。熊本出身の妻は高校時代から浄土真宗の話を聞いていて、広島大学会館で細川巌先生が「歎異抄の会」をやっているから聞きに行かないかと、声をかけてくれました。しかし、今の葬式仏教で自分の生死の問題が解決するとは思えないからと、その誘いを七年間拒絶しました。医学部を目指して勉強をしている間に、かねてから興味のあった道元禅師の本や「臨済録」など禅宗関係の本をたくさん読みました。紆余曲折ある中で、次第に頑な私の心もほぐれて、医学部に合格したら「歎異抄の会」に行く約束を妻としました。
 合格発表のあったその日に「歎異抄の会」があり参加しました。『歎異抄』は異義篇の話でしたが、内容はよくわかりませんでした。ただ不思議なことに、これまで取り組む対象を変えることで自分の生死の問題を解決しようとしてきたのですが、『歎異抄』から「おまえ自身が問題ではないのか」という声を聞きました。これまで外に向いていた視点が初めて内にひっくり返りました。それが『歎異抄』との出遇いでした。
 それから六年間、必死に聞法してから沖縄に帰りました。しかし、先祖崇拝が生活のしきたりになっている沖縄の現実の中で、再び行くべき道がまったく見出せず路頭に迷ってしまいました。自分が問題だということはわかっていたので聞かなかった昔には戻れません。このままではどうにもならないという危機感もあり、五年ほどたって小児科医院を開業するとき、病院の二階に五十名から八十名ほどが参加できる聞法道場をつくる決断をしました。浄土真宗がわかったからつくったのではなく、もう一度、一から聞法をしようと思ってつくりました。
 平成四年に小児科医院を開業し、翌平成五年、癌を患っていた細川巌先生と同じように癌を患っていたその教え子の関真和先生の往復書簡を手にしました。それを読みながら涙が止まりませんでした。今まで「生ききれない。死にきれない」と苦しんでいた我執に、そのとき決着がつきました。「ああ、そういうことだったのか」と、念仏、本願、浄土などへの疑いは氷解しました。それはまったく思いもよらないことでした。


自力とは何か  

 こうして自分の歩みを振り返り、なぜ長いこと浄土真宗の教えが頷けなかったのかを思うとき、仏法は世間道を生きる私たちには、本質的に簡単にはわからない教えだからだと思います。
 (図1)を参照して下さい。
(図1)法性法身と浄土門:方便法身

 私たちは、(世間道)の穢土に誕生します。仏法を聞くご縁がなければ、(世間道)の穢土で生涯を終えることになります。それが先に述べた「往死穢土」の生き方です。「往死穢土」の生き方に空しさを感じたとき、「人ありて西に向かって行かんと欲する」と二河白道で説かれるように、西に向かう人が誕生します。西に向かう道が(出世間道•仏道)です。
 私たちは生まれたとき、どの人もみんな(世間道)の穢土の住人で、自力からスタートします。
 『親鸞聖人血脈文集』(東五九四頁 ・ 西七四六頁)には

 自力と申すことは、行者のおのおのの縁にしたがいて、余の仏号を称念し、余の善根を修行して、わがみをたのみ、わがはからいのこころをもって、身・口・意のみだれごころをつくろい、めでとうなして、浄土へ往生せんとおもうを、自力と申すなり。

とあります。自力とは、「わが身をたのみ、わが計らいの心」を根拠にして生きることです。
 『唯信鈔文意』(東五五二頁 ・ 西七〇七頁)には、

 自力のこころをすつというは、ようよう、さまざまの、大小聖人、善悪凡夫の、みずからがみをよしとおもうこころをすて、みをたのまず、あしきこころをかえりみず。

とあります。自力のこころを捨てるとは、「自らが身を善しと思うこころをすて、身をたのまず、悪しきこころをかえりみないこと」、つまり自らを根拠にして価値判断をして生きることを離れることです。単に何か行為をすることを自力というのではありません。分別があるということと、その分別を根拠にして計らう(自力)こととは、別なことです。これは大切なポイントなので、他力との関係で後ほど触れたいと思います。


他力とは何か  

 他力とは何でしょうか。
 『教行信証』行巻(東一九三頁 ・ 西一九〇頁)には、

 他力と言うは、如来の本願力なり

とあります。
 また『親鸞聖人血脈文集』(東五九四頁 ・ 西七四六頁)には、

 他力と申すことは、弥陀如来の御ちかいの中に、選択摂取したまえる第十八の念仏往生の本願を信楽するを、他力と申すなり。

と、他力が具体的に述べられ、さらに

 如来の御ちかいなれば、「他力には義なきを義とす」と、聖人のおおせごとにてありき。義ということは、はからうことばなり。行者のはからいは自力なれば、義というなり。他力は、本願を信楽して往生必定なるゆえに、さらに義なしとなり。

とつづきます。ここに「他力には義なきを義とす」(他力には計らいのないことを本義とする)という大切なことばがあります。その計らいのないこととは、

 しかれば、わがみのわるければいかでか如来むかえたまわんとおもうべからず。凡夫はもとより煩悩具足したるゆえに、わるきものとおもうべし。また、わがこころよければ往生すべしとおもうべからず。

と、人間の善悪を超えることが大切だと説かれます。人間の善悪を根拠とする自力では、

 自力の御はからいにては真実の報土へうまるべからざるなり。「行者のおのおのの自力の信にては、懈慢・辺地の往生、胎生・疑城の浄土までぞ、往生せらるることにてあるべき」とぞ、うけたまわりし。

と、化土への往生が説かれます。
 他力の往生については、

 第十八の本願成就のゆえに、阿弥陀如来とならせたまいて、不可思議の利益きわまりましまさぬ御かたちを、天親菩薩は尽十方無碍光如来とあらわしたまえり。
 このゆえに、よきあしき人をきらわず、煩悩のこころをえらばずへだてずして、往生はかならずするなりとしるべしとなり。

とあります。他力を生きるとは、自らの計らいを根拠にしないで、本願力を根拠に「ただ念仏」の道を生きることです。生きる根拠は仏さんのほうにすでに移っているので、これまで私たちを悩ませた分別は、今度はわが身を教えるもの、わが身を照らすものになります。ここに「無碍の一道」がひらかれます。


難信の法  

 しかしながら、分別を根拠に自力で生きている間は、計らいを超えた他力の世界は「難信」です。
 「難信」について、『大無量寿経』(東八七頁 ・ 西八二頁)には、

 もしこの経を聞きて信楽受持すること、難きが中に難し、これに過ぎて難きことなし。

とあります。
 また、『阿弥陀経』(東一三三頁 ・西一二八頁)には、

 一切世間のために、この難信の法を説く。これをはなはだ難しとす。

とあります。私たちの迷妄分別で、他力を受け取ることは「難きが中に難し」です。私はこの「難」とは、「不可能」という意味だと思います。
 (世間道)の穢土で生きている間も、あるいは(出世間道•仏道)の第十九願、第二十願で生きている間も自力です。いまだ、自力を捨てて移るべき根拠となる真実報土(真仏土•浄土)がないので、結局やっている身口意の三業は全て自己を根拠にした自力になります。自力を生きている間は、「人間には自力以外にない、第十九願、第二十願から出られない」と思うのはしかたがないことです。自分を根拠にして生きる以外の道は見えないのですから……。


法性法身は方便法身を生ず  

 (図1)(図2)を参照して下さい。
(図2)法性法身と聖道門

マルティン・ブーバーの『我と汝』という視点からすると、穢土は私たちが生まれてから生きている〈われーそれ〉の世界です。〈われーそれ〉の世界は、人間の虚妄分別が世界を〈それ〉と認識して作り出したものです。
 穢土(〈われーそれ〉)は、世間道と出世間道・仏道のどちらにもあります。浄土門の出世間道•仏道には、浄土(〈われーなんじ〉)がありますが、聖道門は浄土を立てないので、聖道門の出世間道•仏道には浄土(〈われーなんじ〉)はありません。これが浄土門と聖道門の大きな違いです。聖道門は、穢土(〈われーそれ〉)の世界から直に法性法身(〈われ〉も〈なんじ〉もない無分別の世界)を悟ろうとします。聖道門は、能力あるものだけに可能な難行道です。しかし、私たちは恵まれて方便法身の浄土をたまわり、そこで法性法身の働きを得るわけで、浄土門は易行道といわれます。しかし、易行道ですが難信という課題があります。
 (図1)(図2)の世間道と出世間道•仏道の間には斜めの線が途中で切れているのは、世間道も出世間道•仏道もともに法性法身の中に在ることを示しています。
 それについて、こういうことがありました。あるお母さんが子どもを亡くして、たまたまご縁があって「まなざし仏教塾」に仏法を聞きに来ていました。講演会が終わったあるとき、「私はこの話を聞くことができたけど、仏法を聞かないで亡くなったあの子はどうなんですか」と聞きに来ました。「仏法にご縁のなかったあなたのお子さんも法性法身の中です。仏法を聞かなかったから法性法身から取り除きますとは、仏さんは言いません。仏法を聞かなかった子も、みんな仏さんの掌のなかです。お子さんは、それをわからないで亡くなったけれども、あなたは亡き子も仏さんの掌のなかだと受け止めることができます。それがあなたにとっての子どもの救いだし、そしてその亡き子があなたを仏道に遇わせてくれたんですね」と話すと、心なしか涙ぐみました。
 法性法身について『唯信鈔文意』(東五五四頁 ・ 西七〇九頁)には、

 法性すなわち法身なり。法身は、いろもなし、かたちもましまさず。しかれば、こころもおよばれず。ことばもたえたり。

とあります。法性法身は私たちの一切の概念や認識、言語表現を超えているということです。分別でしかものを認識できない私たちには、分別を超えた無分別•法性法身はわからないということです。しかし、「わらないということがわかる」ということが、大切なポイントです。
 こうして言葉にし、文字に書くこと自体がすでに分別です。しかし、ことばで表現する以外にないので、それを仏教では「仮名」といいます。
 「法性すなわち法身なり。法身は、いろもなし、かたちもましまさず。しかれば、こころもおよばれず。ことばもたえたり」というだけならば、分別でしかものを考えられない私たちと法性法身は無縁です。しかし、法性法身は働きをなします。

 この一如よりかたちをあらわして、方便法身ともうす御すがたをしめして、法蔵比丘となのりたまいて、不可思議の大誓願をおこして、あらわれたまう御かたちをば、世親菩薩は、尽十方無碍光如来となづけたてまつりたまえり。この如来を報身ともうす。誓願の業因にむくいたまえるゆえに、報身如来ともうすなり。

とつづきます。
 『一念多念文意』(東五四三頁 ・ 西六九〇頁)にも、

 この一如宝海よりかたちをあらわして、法蔵菩薩となのりたまいて、無碍のちかいをおこしたまうをたねとして、阿弥陀仏と、なりたまうがゆえに、報身如来ともうすなり。これを尽十方無碍光仏となづけたてまつれるなり。この如来を、南無不可思議光仏とももうすなり。この如来を方便法身とはもうすなり。

と同様な記述があります。つづいて

 方便ともうすは、かたちをあらわし、御なをしめして衆生にしらしめたまうをもうすなり。すなわち、阿弥陀仏なり。この如来は、光明なり。光明は智慧なり。智慧はひかりのかたちり。

と、「方便」の意味が説かれます。法性法身が方便法身になるということは、分別でしかものを受け取れない私たちに働きかけるために(〈われ〉も〈なんじ〉もない無分別の世界)が、自ら(〈われーなんじ〉)という分別になるということです。人間の分別は虚妄分別ですが、如来の分別は如来の大悲方便です。
 『教行信証』証巻(東二九〇頁 ・ 西三二一頁)には、

 一つには法性法身、二つには方便法身なり。法性法身に由って方便法身を生ず。方便法身に由って法性法身を出だす。この二つの法身は、異にして分かつべからず。一にして同じかるべからず。

と、法性法身と方便法身の関係が記されています。


「聞」は「信心」なり  

 〈われーなんじ〉の〈われ〉と〈なんじ〉は関係性の世界です。〈われ〉は〈なんじ〉であり、〈なんじ〉は〈われ〉であります。如来の〈われーなんじ〉という呼びかけが、そのまま〈なんじ〉と届き、〈われーなんじ〉の〈われ〉を生きる世界が第十八願です。
 『一念多念文意』(東五三四頁 ・ 西六七八頁)には、

 「聞其名号」というは、本願の名号をきくとのたまえるなり。きくというは、本願をききてうたがうこころなきを「聞」というなり。また、きくというは信心をあらわす御のりなり。

 『唯信鈔文意』(東五五一頁 ・西七〇五頁)にも、

 「聞」は、きくという。信心をあらわす御のりなり。

とあります。「聞」というのは、「本当に聞く」「如実に聞く」「あるがまま聞く」にということで、このとき「聞」は「信心」となります。
 『教行信証』信巻(東二四〇頁 ・ 西二五一頁)に、

 『経』に「聞」と言うは、衆生、仏願の生起・本末を聞きて疑心あることなし。これを「聞」というなり。「信心」と言うは、すなわち本願力回向の信心なり。

とあります。「疑心あることなし」とは「無有疑心」の書き下し文です。「ああ、なるほど、そういうことなのか」という頷きが成立することです。つまり信心とは、「疑いの無い心」•「無疑心」です。
 聖典は、「我聞如是」•「如是我聞」からはじまります。「我聞」は、「如実に聞く」ことで「聞成就(」といいます。「如是」は、「ああ、なるほど、そういうことなのか」という確かな頷きで「信成就」といいます。つまり、如来の〈なんじ〉という呼びかけを、そのまま〈なんじ〉と聞いたところに信心は成立します。これが第十八願の世界です。
 ところが、私たちは自らの計らいで、如来の〈なんじ〉という呼びかけを〈それ〉として聞いてしまうのです。これが第十九願、第二十願の問題です。
 次にそれを考えてみましょう。


報中の化・方便化土  

 浄土の中に居るということは、如来の〈なんじ〉という呼びかけ・南無阿弥陀仏を聞いているということです。しかしながら、如来の〈われーなんじ〉の〈なんじ〉という呼びかけを、如実に〈なんじ〉と聞くことができず、自分のエゴの計らいで〈なんじ〉を対象化して〈それ〉に転落させ、念仏を手段や道具にして助かろうとします。如実に聞かないので、「聞」は「信心」になりませ。これが、私たちが長いこと第十九願、第二十願にとどまる理由です。報中の化、いわゆる報土の中の方便化土(化身土)の問題です。
 しかし、第十九願、第二十願がなければ第十八願には至れないわけですから、第十九願、第二十願があるということもまた「如来の大悲」です。ただし、ここにとどまりつづけることは如来の意に反します。如来の意に反するけれども、第十九願、第二十願は大切な入口(「要門」、「真門」)です。
 親鸞聖人の『浄土和讃』大経意(東四八四頁 ・ 西五六六頁)には、

 至心発願欲生と 十方衆生を方便し 衆善の仮門ひらきてぞ 現其人前と願じける

(自分の心を真実にし、往生を願い、浄土に生まれたいと思えと、十方衆生を方便して、諸善万行によって往生を願う方便の仮門(要門)を開き、この人の臨終にはその人の前に来迎(らいごう)すると、第十九願をおこされた。)

 諸善万行ことごとく 至心発願せるゆえに 往生浄土の方便の 善とならぬはなかりけり

(阿弥陀如は第十九願で、さまざまな善い行いはすべて、自分の心を真実にし往生を願うので、浄土に往生するための方便とならないものはないとすすめています。)

 以上は、第十九願の意です。往死穢土の人々を西に向かわすための如来の方便です。そして、第十九願で行き詰まったものには、さらに念仏をすすめて西に向かわせます。それが第二十願です。

 至心回向欲生と 十方衆生を方便し 名号の真門ひらきてぞ 不果遂者と願じける

(阿弥陀仏は第二十願に十方衆生を方便して、自力の念仏によって往生するという真門をひらいて、必ず浄土往生を果しとげさせると誓われた。)
 
 果遂の願によりてこそ 釈迦は善本徳本を 弥陀経にあらわして 一乗の機をすすめける

(必ず浄土往生を果しとげさせるという第二十願によって、釈尊は自力念仏の教えを『阿弥陀経』に説き示し、ひたすら念仏に励むものを導かれた。)

 定散自力の称名は 果遂のちかいに帰してこそ おしえざれども自然に 真如の門に転入する

(自力の心で念仏する人も、必ず浄土往生を果しとげさせるという第二十願のはたらきによって、教えないのにおのずと第十八願他力念仏の真実の門に入るのである。)

 以上は、第二十願の意です。第十九願は、自らの善行を握ってそれで助かろうとしますが、第二十願は、念仏を握ってそれで助かろうとします。どちらも握っている自らは問われていません。握った善行や念仏を手段に助かろうとする浅ましいわが身に目が覚めたとき、握った手を放す「ただ念仏」の世界がひらかれます。それが、如来が本当に届けたい第十八願の世界です。ですから第十九願(要門)、第二十願(真門)の辺地;懈慢の方便化土に誘ったけれども、そこにとどまっていては残念です。如来のこの相反する思いが、胸に突き刺さります。親鸞聖人もまた、第二十願(真門)にとどまることに釘をさしています。 

 安楽浄土をねがいつつ 他力の信をえぬひとは 仏智不思議をうたがいて 辺地懈慢にとまるなり

(阿弥陀仏の浄土に生まれたいと願いながら、他力の信心を得てない第十九願、第二十願の人は、名号を信ずる一つで凡夫を往生させるという、思いはかることのできない仏の智慧のはたらきを疑うことにより、辺地・懈慢の方便化土にとどまって、真実報土に入ることができない。)

『正像末和讃』(東五〇五頁 ・ 西六一〇頁)を、少し多めに引用してみます。

 不了仏智のしるしには 如来の諸智を疑惑して 罪福信じ善本を たのめば辺地にとまるなり

(阿弥陀仏の智慧をさとらない証拠として、如来のさまざまな智慧を疑い、善悪の因果のみを信じ、自力念仏の功徳をたのみにするので、浄土の片隅の方便化土にとどまるのです。)

 仏智の不思議をうたがいて 自力の称念このむゆえ 辺地懈慢にとどまりて 仏恩報ずるこころなし

(思いはかることのできない阿弥陀仏の智慧を疑って、自力の念仏を好むものは、浄土の片隅や慢心の世界にとどまって、仏のご恩に報いようとする心がおこらない。)

 罪福信ずる行者は 仏智の不思議をうたがいて 疑城胎宮にとどまれば 三宝にはなれたてまつる

(善悪の因果を信じる行者は、思いはかることのできない阿弥陀仏の智慧を疑って、疑城胎宮にとどまってしまうので、真実報土の仏法僧から離れてしまう。)

 仏智疑惑のつみにより 懈慢辺地にとまるなり 疑惑のつみのふかきゆえ 年歳劫数をふるととく

(阿弥陀仏の智慧の本願を疑う罪により、方便の浄土とどまってしまう。疑う罪が深いので、はてしなく長い時をむなしく過ごします。)

 仏智の不思議をうたがいて 善本徳本たのむひと 辺地懈慢にうまるれば 大慈大悲はえざりけり

(思いはかることのできない阿弥陀仏の智慧を疑いながら、名号を称えた功徳によって往生しようとする自力の人は、辺地懈慢界に生まれるので、阿弥陀如来の救いの大慈大悲も得られない。)

 如来の諸智を疑惑して 信ぜずながらなおもまた 罪福ふかく信ぜしめ 善本修習すぐれたり

(阿弥陀仏のさまざまな智慧を疑って、他力の念仏を信じることができないまま、善悪の因果の道理を深く信じ、名号を称えた功徳を求めてひたすら念仏に励んでいるものがいる。)

 罪福ふかく信じつつ 善本修習するひとは 疑心の善人なるゆえに 方便化土にとまるなり
 
(善悪の因果の道理を深く信じて、自力の念仏に励んでいる人は、本願を疑う善人なので、方便化土にとどまってしまうのである。)
目を覚ませ目を覚ませという親鸞聖人の願いの悲痛な叫びのように聞こえてきます。そして、

 信心のひとにおとらじと 疑心自力の行者も 如来大悲の恩をしり 称名念仏はげむべし
 
(真実信心を得た人に劣ることのないように、阿弥陀仏の本願を疑いながら自力で念仏するものも同じように救おうとしている如来の大悲のご恩を知って、他力報恩のお念仏を申すべし。)

如来の大悲のご恩を知って、他力の称名念仏をはげみなさいろいう、聖人の心からの呼びかけにこころが揺さぶられます。
 お念仏の教えを聞きひらいた白井成允先生は、

 如来の作願をたずぬれば 苦悩の有情をすてずして 回向を首としたまいて 大悲心をば成就せり

(阿弥陀仏が願いをおこされたお心を尋ねてみると、苦しみ悩むあらゆるものを見捨てることができず、何よりも回向を第一として、大慈悲の心を成就されたのである。)

という『和讃』を読むたびに、嗚咽されていたと伝えられています。


「如来回向」が「回心」を引き起こす  

 第十九願、第二十願から第十八願の世界へ、つまり自力から他力への転入を「回心」といいます。「回心」について、
 『唯信鈔文意』(東五五二頁 ・ 西七〇七頁)には、

 「回心」というは、自力の心をひるがえし、すつるをいうなり。

とあります。しかし、「自力の心をひるがえし、すてること」を自らの計らいでなそうとしても、それがまた自力ですから不可能です。自分で自分の計らいを超えることはできません。「出離の縁あることなし」(「機の深信」)です。
 では、どうしたら回心が実現するのでしょうか。
 『唯信鈔文意』(東五四七頁 ・ 西六九九頁)には、

 「信」は、うたがいなきこころなり。すなわちこれ真実の信心なり。‥‥‥‥ 本願他力をたのみて自力をはなれたる、これを「唯信」という。

とあり、『歎異抄』(東六三七頁 ・ 西八四八頁)には、

 一向専修のひとにおいては、回心ということ、ただひとたびあるべし。その回心は、日ごろ本願他力真宗をしらざるひと、弥陀の智慧をたまわりて、日ごろのこころにては、往生かなうべからずとおもいて、もとのこころをひきかえて、本願をたのみまいらするをこそ、回心とはもうしそうらえ。

とあります。「自力を離れることができるのは、本願他力をたのむから」で、回心は「弥陀の智慧をたまわりて」おこる出来事です。
 親鸞聖人は『教行信証』信巻(東二一一頁 ・ 西二一一頁)で、

 真実の信楽実に獲ること難し。何をもってのゆえに。いまし如来の加威力に由るがゆえなり。博く大悲広慧の力に因るがゆえなり。

 「真実の信心を得ることは難しい。なぜなら、真実の信心を得るのは、如来が衆生のために加えられるすぐれた本願力によるものであり、如来の広大な大悲とすぐれた智慧の力によるものだからである」と、如来回向によって真実の信楽を獲ることができるのであると記しています。
 「本願他力をたのみて自力をはなれたる」ということに関して、日頃、子供たちに接していて思うことがあります。ときどき子供が、ボールペンなどのような先のとがった危ないものを持って来ることがあります。突き刺さると危ないからと無理に取ろうとすると、握りしめたり暴れたり泣き叫んだりします。どうすればボールペンを離すかというと、その子の大好きなものを目の前に置いたときです。たとえば果物のイチゴとか、ウルトラマンのフィギュアなどです。安心して離せる代わりになるものがないと、握ったものは離せません。私たちもまた、本願他力に遇わなければ自力を離れることは不可能です。
 分別は、唯識からいうと深層意識の末那識から起ります。私たちは深層意識の阿頼耶識に本有種子という無始以来続いてきた種を持って生まれてきます。本有種子は本能だといえます。誰も教えないのに、イヌはイヌの仕草をし、ネコはネコの仕草をします。私たちの本有種子は他力に遇ったからなくなるというものではなく、死ぬまでなくなりません。私は分別は、この本有種子から生まれていると考えています。
 分別を現代の免疫学で考えてみましょう。免疫学者の多田富雄先生は、私たち人間は頭・心だけではなく、この身も自己と非自己を認識する機能を持っているといいます。キメラという実験で詳しく調べられています。例えば、私たちは腎臓が悪くなって腎臓移植を希望することがあります。しかしながら、腎臓を提供する人がいても移植の型が合わないと拒絶反応が起ります。私の頭・心は欲しいと思っても、身が拒絶するのです。頭・心だけでなく、身も「自己」と「非自己」を認識する自己認識機能があります。ですから、頭・心だけで処理しても分別は無くせるものではないのです。私たちはその分別をもって生まれ、その分別を根拠に人生をスタートします。私はそれが、「生苦」の意味だと考えています。
 分別をナイフにたとえてみましょう。ナイフ(分別)は他人も傷つけますが自らも傷つけます。自力とは、そのナイフ(分別)を握ってそれを根拠に生きることです。生まれてこのかたナイフ(分別)を離したことがないので、ナイフ(分別)とナイフを握っていること(自力)の区別がつかないのです。しかしながら、弥陀の智慧をたまることによって、ナイフ(分別)とナイフ(分別)を握ることは別だということが分かります。ナイフ(分別)は死ぬまでなくなりませんが、ナイフ(分別)を握る必要がない世界が開かれるのです。
 私たちに他力がわからないのは、初めから自らを根拠に生きる自力の世界だけを生きてきたからです。しかし、それは全くの迷いだということに決着がついたときに、仏さんを根拠に生きていく世界が開かれます。そのとき、今まで握って放さなかったものを放すことができるわけです。私の生死の迷いを決着させてくれる「南無阿弥陀仏」に遇い、真仏土がひらかれたから放せるのです。如来回向が回心を引き起こすのです。他力の世界というのは、如来回向によって自力を離れたあと、振り返ってみて頷ける世界です。


浄土に居す  

(図1)の世間道の穢土は実線ですが、出世間道・仏道の方便法身の中にある穢土は破線で囲まれています。臨終の一念までその穢土の住人ですが、破線で隙間(すきま)が開いているので、浄土の風を被って生きることができます。これを善導大師や親鸞聖人は、「浄土に居す」と言われました。
 『御消息集』(東五九一頁 ・ 西七五九頁)には、

 「信心の人はその心すでに浄土に居す」と釈し給えり。居すというは、浄土に、信心のひとのこころ、つねにいたりというこころなり。

とあります。
 『一念多念文意』(東五三四頁 ・ 西六七七頁)には、

 「恒」は、つねにという、「願」は、ねがうというなり。いま、つねにというは、たえぬこころなり。おりにしたごうて、ときどきもねがえというなり。いま、つねにというは、常の義にはあらず。常というは、つねなること、ひまなかれというこころなり。ときとして、たえず、ところとして、へだてず、きらわぬを、常というなり。

とあります。私たちが仏さんを忘れていても、「大悲無倦常照我」とあるように、仏さんは「常」、時と所を選ばれず途絶えることなくずっと私たちを照らしています。しかし、私たちはそうではありません。私たちは「恒」です。「恒」とは、途絶えながらも折にふて、その時々にということです。私たちは仏さんを忘れ、縁に触れてときどき思い出すだけです。しかし、私たちが忘れているときも迷っているときも、常に私たちを倦(う)むことなく照らし支えている仏さんが居ます。その決着がついているから、この世間のなかで安心して迷って生きていくことができるのです。それが「浄土に、信心のひとのこころ、つねにいたりというこころなり」でしょう。


回心ひとたび  

 『歎異抄』(東六三七頁 ・ 西八四八頁)に、

 一向専修のひとにおいては、回心ということ、ただひとたびあるべし。

とあります。「回心ということ、ただひとたびあるべし」とはどういうことでしょうか。
 ひとつたとえ話をします。 
 アインシュタイン博士が日本に来られたとき、近角常観先生が仏教を説明するのに「姥捨て山」の話をしたと言われています。人間の愛で、如来の大悲をつたえるのは必ずしも容易ではないのですが、こころに響くお話しです。
 ある地方では、年老いた親を姥捨て山に捨てに行く風習がありました。年老いた母親が息子に「もう年だから捨てに行ってくれ」とたのみます。しかし息子は、自分の母を捨てに行く決断ができずに長いこと躊躇していました。
 ある日、決断をして母を背負いました。あまりの軽さに「ああ、わが母はこんなにやせ細ってしまった…」と心を痛めます。
 母を背負って山道を登っていきます。ところどころで母が体を伸ばし木の枝を折って落としていきます。最初は、軽くて「こんなに痩せたか」と思ったけれども、だんだん背中に食い込んで重くなってきます。「木の枝を落としてどうするんだろう。これを頼りにまた帰ろうとしているのかな、情けないな。」と、次第に腹が立ってきました。いろいろな思いをいだきながら、言葉もかけずに山道を登って行きました。
 目的地の岩のところで母を降ろし、そこそこに挨拶をして振り向かずに帰ろうとしました。すると、母が呼びかけました。「こんな遠い山奥まで来て、帰りに道に迷うといけないと思って、あちこちに枝を落としておいたから、それをたよりに帰ってくれ。ありがとう。後は、皆のことよろしく頼む」と。その母のことばを聞いたときに、息子は足が止まり、泣き崩れました。
 疑いの心で母を見ていて、情けない親だ、置いたらすぐに帰ろうと思っていました。けれども母は、息子の帰りを心配してずっと枝を折ってきたのです。その母の願いを知って、息子は泣きながら母に「帰ろう」と言います。しかし母は「帰らない」と言い張ります。このまま母を残せば、餓死するか、野犬やオオカミなどに食われて亡くなるだけです。息子は「ぜひ帰ってくれ」と頼み込んで、母を背負って山を下りました。
 その後の生活は、外から見ては何も変わりません。相変わらず貧しく、今までとかわらず母とけんかをしたりする生活です。しかし、母の思いに包まれた生活です。息子は、もう母の思いを知っているので、何度も確かめる必要はないわけです。何回も確かめるのは、母親の心がわかってないからです。
 何度も回心するというのは、単なる自己反省です。「一向専修のひとにおいては、回心ということ、ただひとたびあるべし」です。


他力は仏道の至極なり  

 (図3)を参照して下さい。
(図3)仏道の歩み:時系列

(図1)と(図2)のまとめとして〈仏道の歩み〉を時系列で表現してみました。
 この世に誕生したものは、【世間道】を歩みます。そのまま一生涯、世間道を歩む人も沢山います。しかし、「よろずのこと、みなもって、そらごとたわごと、まことあることなき」世間道に行きづまったものは、道を求めて出発します。それが【出世間道・仏道】です。大方は聖道門をスタートします。聖道門は浄土を立てません。
 しかしご縁によって、方便法身の浄土をたまわる浄土門に出遇い、自らの善行を根拠とする自力の第十九願をスタートします。第十九願で行きづまつ者が、恵まれてお念仏に出遇います。自力念仏の道、それが第二十願です。ここまでは、私たちの努力や精進で至れる自力の道です。
 しかし、他力の第十八願の世界は、破線で示したように自力の延長線上にはありません。「ただ、念仏」は、如来回向「弥陀の智慧をたまわりて」ひらかれる仏道の至極の世界です。
(終了)

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