浄土真宗

「生死を超える道としてのビハーラ活動(2)」

    生死を超える道としてのビハーラ活動(2)                     
                  志慶眞 文雄

 □ 沖縄に帰っての模索
 
 医学部卒業と同時に沖縄に帰りました。しかし、祖先崇拝がしきたりになっている日常生活の中で、浄土真宗の教えをどう受け取ればいいのか戸惑うことばかりでした。そのとき繰り返し聞こえてきたのは、広島を去るとき先輩が私にかけたひとつのことばでした。「志慶眞君、沖縄の厳しい現実の中でわかるまで聞き抜いてくれ。」このことばがよみがえる度にいつも、一歩を踏み出さなくてはと思いました。
 沖縄に帰って五年目(一九九二年)、小児科医院を開業するとき、二階に四、五十人ほどが入れる聞法道場を作ることにしました。これから十年間聞き続けて、生死が超えられないなら、親鸞の教えは自分に届かない教えだからやめるつもりの最後の決断でした。

 □ 関真和先生と細川巌先生の往復書簡

 開院翌年、日常の診療を終えて郵便物に目を通しているとき、私が広島で話を聞いた細川巌先生と、小学校の教師の関真和先生(五十六歳)の往復書簡が掲載された聞法通信を手にしました。その往復書簡は、関先生が癌で亡くなる一か月前に細川先生へ書かれた手紙と、細川先生からの返書でした。これを読んであふれるように涙がでてきました。その涙は、十歳の時からむなしくて生ききれない死にきれないと苦しんだ私の我執の喘ぎを洗い流し、はじめて生死を超える視点を開きました。この往復書簡との出あいがなければ、念仏の教えを今も聞いていたかわかりません。
 二〇〇四年NHKラジオ深夜便「こころの時代」に「生死を超える道へ」というテーマで出演したとき、この往復書簡を紹介しました。生死の問題で苦悩している多くの人々の琴線に触れたのでしょう、放送後、往復書簡が欲しいとの問い合わせが沢山よせられました。
 往復書簡はまさしく、『口伝鈔』の一節、「たもつところの他力の仏法なくはなにをもてか生死を出離せん」の具体例です。この往復書簡は、死に直面して苦悩している多くの人々に、これからも生死を超える視点を恵むに違いありません。そして、ビハーラ活動にたずさわっている人々にとっても、おおきな道しるべになることでしょう。
 ここに往復書簡の全文を紹介します。まず関先生が細川先生へあてた手紙です。
 
   合掌 先生、長い間ありがとうございました。このことばは何度いってもいい尽く
  すことができません。福岡学芸大学時代、本校で先生にお遇いし、仏法にあわせてい
  ただき、大きな世界のあることを知らせていただきました。あの当時二年制で教員に
  なることも可能でしたが、四年制課程で本校に行けたことがいかに大きなことであっ
  たか、今にしてつくづく思います。先生にお遇いできたことが、最大の収穫でした。
   その後、卒業以来も久留米を中心に仏法を語っていただき、時に父のごとく、時に
  教育者ともなり、私を育んでくださいました。
   前後しますが、大学四年の時父がなくなり、その時先生にいただいた「日輪没する
  処、明星輝き出ずる如く、人生の終焉は永遠の生の出発である」ということばは、そ
  の当時私の大きな救いとなりました。そして、今、病床でこのことばをかみしめてい
  ます。
   以来三十数年、先生のみ教を通し、夜晃先生、親鸞聖人、七高僧、釈尊と連綿とつ
  らなる深い歴史観を頂きました。
   このことは私の人生をいかに豊かにしてくださったことでしょうか。また、教育を
  していきます上でも大きな励みとなりました。
   お念仏「南無阿弥陀仏」をいただいた故に、生きることができ、お念仏いただいた
  故に死んでいけます。もし、お念仏におあいしていなかったら、今ごろこのベッドの
  上でのたうちまわっていると思います。肉体的にはたいへんきついです。すわるのも
  ちょっとの時間でしかできないくらいです。でも、心は平安です。
   先生を通して、たくさんのお同朋をいただき、にぎやかです。
   先生、本当にすばらしい人生をたまわりましてありがとうございました。
   最後の一呼吸までは生きるための努力を続けます。
   先生、本当に長い間ありがとうございました。
   先生は、病気回復期ゆえ、どうかお体お大事になさってお同朋の大きな光となって
  ください。
   ことばは尽くせません。ありがとうございました。
         平成五年六月二十四日        関 真和
 
 それに対して同じく癌を患っていた細川先生が、二日後の二十六日に返事を書かれます。

   関君、いよいよ大事な時になったなあ。
   この病気は後になるほど痛みが増すと聞いているが、君もさぞたいへんだろう。 
   慰めようもない。南無阿弥陀仏。
   南無阿弥陀仏におあいできて本当によかった。
   これが人生のすべてであった。
   私は昨年十二月以来入院して、このことをいよいよ知った。君も同じだと思う。本
  当に良かった。南無阿弥陀仏。
   人間、最後の場に立ったとき、心に残るものが二つあるという。
   一つは死んだらどうなるのかという問題。
   一つは残った者はどうなるのかということ。
   諸有衆生 聞其名号 信心歓喜 乃至一念 至心回向
   如来の至心回向によって、われらは信心念仏を賜わり、願生彼国と生きていく方向
  を知り、即得往生 住不退転 ここが浄土の南無阿弥陀仏となる。
   死ぬも南無阿弥陀仏、生きるも南無阿弥陀仏ただこのこと一つ。
   残った者は私の死を見て、何かを得て、それぞれの人生を歩む。
   私は願う、どうか良い縁を得て、この道に立ってくれよ、南無阿弥陀仏、と。
   このこと一つを願い、このこと一つを南無阿弥陀仏に托して歩んでゆく。
   すべてを如来におまかせして進むとは、この事である。
   こうして念仏道に立つ者には、残る問題は一つもない。
   関君、学芸大学時代から、田川、飯塚と、本当に長い間、よく聞法してくれた。有
  難う。君が一生かけて如来実在したもう証明者として生きてくれてうれしい。
   私の方が先に浄土に行っていると思ったが、君が先かもしれぬ。
   しかし、あともさきもない。皆、南無阿弥陀仏を生きゆくほか道はありえない。
   よかった、よかった。君の人生、苦労もあり、誤りもあり、思うようにならなかっ
  たことも少なくなかったと思うが、人生の最後にあたって、感謝し、有難うございま
  すと言える人は、白蓮華である。
   私は大分よくなった。あと何年かは働けるだろう。君の分も背負って、如来のため  、報謝の一道を進みたい。
          六月二十六日       細川 巌

 □ 「まなざし仏教塾」とホームページを開設
 
 この往復書簡との出あいがきっかけで、沖縄で生死の問題で悩まれている人々が語りあえる場として、浄土真宗を聞法する「まなざし仏教塾」を一九九三年に立ち上げ、二〇〇九年にはホームページを開設しました。
 「この仏教塾は、釈尊や親鸞聖人の教えを通して、生死の問題を中心にともに仏教を学びたい方に開かれた場です。仏教の教えに耳を傾けてみたい方、生死の問題で悩まれている方、身近な友人知人をさそって気軽においで下さい。宗派も年齢も男女も問いません。仏教は本来、人間の思い込みや偏見を照らす智慧の教え、《なるほど!》とうなづかれる大きな広い真実の世界を届ける教えです。」が、ホームページの案内文です。
 《どう生死を超えるか》を活動の中心にしていますが、それは私の最大の課題であったというだけでなく、釈尊や親鸞聖人や蓮如上人に通底していた課題です。
 「まなざし仏教塾」を立ち上げてから約二十年になります。現在、毎月の「まなざし聞法道場」での仏教講演会には、五十人前後の方々が参加します。

 □ 青年ゴータマ・シッダルタの苦悩

 釈尊の出家の動機は、ご存知のとおり老病死の苦悩でした。釈尊は釈迦族の王子として生まれ、ゴータマ・シッダルタと命名されました。他から見れば何不自由のない恵まれた生活でしたが、老病死の課題をかかえたシッダルタには、城の生活は針のムシロだったに違いありません。とうとう二十九歳の満月の夜中、城を抜け出し出家します。残された妻子や両親の驚きと悲しみ、その衝撃はいかほどだったでしょうか。原始仏典には、青年シッダルタの苦悩のことばが沢山残されています。ここに、仏教は何を問題にし、何を解決しようとしたのかが明らかです。

   「人の命は何と短いことか。百歳にもならないのに、死なねばならなぬ。たといこ
  れ以上ながく生きても結局、老衰のために死んでしまう。」(『スッタニパータ』)

   「愚かな者たちは、自分が老人になり、死ぬことを避けることができないのに、他
  人が老人になり死ぬのを見るといやがるが、考えてみると私もいつか老人になるので
  あり、死を避けることはできないのだから、他人が老人になり、死ぬのを見ていやが
  るべきではない。いま若くして、当分死なないといっておごり高ぶるものは、きっと
  自滅する。そう考えたとき、私の青春の喜びは、ことごとく断たれてしまった。(『中阿含経』)

   「父王よ、私は今、恩愛の情を離れて、老病死を逃れる道を求めて家を捨てます。
  養母プラジャーパティーよ、私は苦しみのもとを断とうと思います。わが妻ヤショー
  ダラよ、人の世には必ず別れの悲しみがある。私は、その悲しみのもとを断とうと思
  ったのだ。」(『方広大荘厳経』)

 私は十歳の時から生死の問題で悩んで来ましたが、これらの言葉に共感し釈尊の生涯に励まされてきました。

  釈尊よ
  あなたは二千五百年前
  老病死を見て苦悩し
  我々が命のごとく執着してやまない「国と財と位」を棄て
  老病死を超える道を求めて独りで旅立たれ
  苦悩の正体を見破り
  老病死を超える真理を明らかにされた
  あなたの命がけの求道がなかったら
  私は生きること死ぬことに苦しんで一生を終っただろう
  あなたを思うと胸があつくなる

 一度でいいから、釈尊が悟りを開いて、説法に歩かれたインドに行きたいとの夢を長年
抱いてきました。それが二〇一一年ついに実現し、仏跡を巡る旅をしてきました。生涯忘
れることのできない旅となりました。

powered by Quick Homepage Maker 3.60
based on PukiWiki 1.4.7 License is GPL. QHM

最新の更新 RSS  Valid XHTML 1.0 Transitional