浄土真宗

「お念仏の開く世界」

2010年2月14日
信道講座(真宗大谷派名古屋別院)
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講題 お念仏の開く世界

はじめに  

 沖縄県うるま市で小児科医院を開業している志慶真と申します。今日は「お念仏が開く世界」ということでお話をしたいと思います。
 沖縄は浄土真宗とは縁がうすく、先祖崇拝が日常のしきたりになっているところですが、そういう中でどうして私が浄土真宗に出あったのか、自己紹介をかねてその話からします。

生死の問題に苦しむ  

 人前で仏法の話をするなんて考えたこともなかったですね。ただただ、生きていくのが精一杯でした。先程も控室で「先生の経歴はすごいですね」と言われたのですが、実は迷いに迷ってあっちこっちに首を突っ込んできただけでして、友達からは「志慶真くん、次は何になるつもりだ」と揶揄(やゆ)されてきました。
 昭和二十三年に沖縄に生まれました。幼い頃の沖縄は、まだ戦後の雰囲気が濃厚でして、近くに米軍基地があり、休日には若い米兵がジープに乗ってお菓子やチョコレートを持って来るので、「ギブミー チョコレート」と後ろを追っかけていたのを覚えています。
忘れることのできない出来事が十歳のときにありました。いつものように満天の星空を眺めていたとき、自分はこの地上からいつか消えてしまうという思いが突然こみ上げてきて、その日を境に生きていくのがつらくなりました。「どうせ死んでしまうのに」と思うと何をしてもむなしくて、こころの中で悲鳴をあげていました。死をどう受け止めればいいのか、そのことが中学、高校、大学とずっと自分を揺さぶった一番の問題でした。
 中学、高校と哲学や倫理などの本も手にしたのですが、生死の問題の解決にはなりませんでした。言う人によって違うようなものでなく、根拠の置ける普遍的なものでないかぎり生死の問題の解決にはならないような気がしていました。結局、小さい頃からあこがれていた天文学・宇宙論や素粒子物理学の勉強をしたいと思っていましたが、当時は弱電ブームで将来の職業のことを考えると工学部がいいと進路指導の先生の勧めもあって、愛媛大学の工学部電気工学科に進学してしまいました。
 しかし入学してみたら自分がやりたかったこととは違うので、理学部(物理学科)への転学部を試みたのですが「内地留学という別枠で入学したから転学部は無理」と大学に断られてしまいました。それなら大学をやめて、沖縄に帰ってもう一回やり直そうと実家に相談の電話を入れました。「皆にお祝いしてもらったし、すぐ帰ってこられたら困る。大学を卒業して、それから好きなところに進学するように」とさとされてしまいました。
 進路の問題で行きづまり、さらに当時は沖縄の復帰問題、大学紛争も激しく、内も外も揺れ動いていて心の休まることのない日々でした。しかし生死の問題が一番のネックで、虚しくて眠れない夜をくり返していました。
 ずっと「どうせ死ぬから虚しい」と思っていました。しかしある日、一万年でも二万年でも、いや永遠に死なないとしたらこのまま生きていけるかと問うたら、今のような生活では生きていけないということに思い至りました。もちろん死ぬことも虚しいが、永遠に生きることができても生きている意味が見出せない限り虚しさはなくならない。このことが今を生ききれない大きな原因だと気づきました。この気づきはとても大事なことでしたが、だからすぐに問題が解決するというものでもなく、あいかわらず虚しくて自暴自棄な生活をしていました。
 大学を卒業する直前に栄養失調と肺炎で入院しました。やせ細って入院中熱がさがらず、ベッドの上ではげしく咳込んでいました。私には小さい頃からかわいがってくれた祖母がいました。もしかしたら死ぬかもしれないと一瞬不安がよぎったとき、今自分が亡くなったら祖母がどんなに悲しむだろうかと思いました。初めて自分以外の人が自分に向けている温かいまなざしに気がついたのです。そのとき、心の底からもう一回やり直してみようと思いました。
 それで大学を卒業して一年間、猛勉強をしました。しかし学部が違うので、まさか通るとは思わなかったのですが、運よく広島大学理学部大学院の素粒子の研究室に合格しました。素粒子物理学が勉強できるのがこの上なく嬉しく、今までの苦悩をすべて忘れるような思いで広島に行きました。朝から晩まで寝る間を惜しんで物理学を勉強しました。夢のような研究生活で、そういう世界をかいま見たことは今でも後悔はしてないですね。

細川厳先生との出会い  

 大学院の博士課程に進学するときに結婚しました。家内は熊本出身で、たまたま浄土真宗の教えを小さいころから聞く機会があり、広島大学の学生会館で細川巌(いわお)という先生の歎異抄の会があるということを聞きつけて、一緒に行こうと誘ってくれたのですが、私は今の葬式仏教で自分の苦悩が解決するとは思えないからと断っていました。行く、行かないでずいぶん夫婦ゲンカをしました。家内が買ってきてテーブルの上に置いてある先生の本は、気になってそれとなく読んでいました。
 青春のすべてをかけた研究生活でしたが、何で生きているのか、どうして生きなければならないのか、人生とは何か、そういう問題が頭をよぎったら何も手につかないのです。私にとって、素粒子を研究することと生死の問題は別でした。
 生死の問題に行きづまり、研究生活を続けて行く目標も見失い、どうにもならない思いのまま大学院を中退しました。ここまで来て何も解決できなかったという挫折感があり、もう行くべき道がないなら、自分を待っている祖母のいる沖縄に帰って一緒に生活しようと思いました。
 しかし何か手に職をつけなければ帰ることもままなりません。医者になっている友人に「今からでも医者になれるか」と聞いたら「医学部に合格すれば誰でもなれる」と言われました。私はそのころ生活費をかせぐ為に予備校で物理を教えていたのですが、教え子がどんどん医学部に合格していくので、彼らが通るなら俺でも通るかなと思い、一緒に医学部の試験を受ける事にしました。申し訳ないことですが高い志があって医者になった訳ではないのです。教え子と一緒に同じ試験場で共通一次試験を受けるのはつらかったですが、まあそれでも何とか五年目に医学部に合格しました。
 医学部に合格したら細川先生の歎異抄の会に行くと、家内と約束してありました。その会が合格発表のあったその日だったのです。初めて聞く歎異抄の話しはよくわからなかったのですが、ただ一つだけ私に響いた言葉がありました。「そういうあなた自身が問題ではないのですか」と。今まであれが悪いこれが悪いと言って自分以外のことを問題にし、やる目標を変えることで生死の問題の解決をはかろうとしてきました。「そうか、私が問題だ」と、初めて外に向いていた目が内に反転しました。
 細川先生の師である住岡夜晃(やこう)先生に「今日も悪く、昨日も悪く、また明日も悪い」という言葉があります。この言葉を見たとき、全く意味がわからなかったですね。今日も悪いし、昨日も悪かったのはよくわかる、しかしどうして明日も悪いと言えるのか。明日はよくなろうと生きているのに、また明日も悪いならどう生きればいいのだ。自分のことは問わないで、理想をかかげてひた走る生き方しかしてこなかったので、全くうなずけない言葉でした。まさしく流転の人生を送っていたわけです。
 しかし、自分のこれまでの価値観からは考えられない、こんなわけのわからないことを言う浄土真宗とはいったい何だろうかと興味がわいてきて、「よし聞いてみようと」と思いました。

一通の往復書簡  

 医学部を卒業するまでの間、先生の話を聞いて沖縄へ帰りました。六年間くらい聞くと「浄土真宗がわかったぞ」という気になるわけです。
 ところが沖縄に帰ると浄土真宗の話しを聞いている人はほとんどいませんし、生活習慣の中で先祖崇拝のしきたりが強く残っているところですから、その中でお念仏の教えをいただくということがどういうことかとまどい、行きづまり、すぐにメッキがはげ落ちてしまいました。ただ自分が問題だというのはわかっていましたから、聞かなかった昔には戻れないわけです。どう歩んでいいのか分からず、仏教の仏という字を見るのも苦痛なくらい悶々としていました。 
 沖縄に帰って琉球大学医学部の小児科で研修を受けました。三十八歳の研修医が来るというので周囲に波紋を広げました。研修を終えて大きい病院に勤めたのですがハードな毎日で、年齢的にこのままずっと勤務医は続けられないと思いました。ちょうど就職して五年目くらいに、知り合いから「土地があるから、購入して病院を建てないか」とさそわれ、開業することにしました。
 広島から沖縄に帰るとき、ある先輩が「志慶真くん、わかるまで聞いてくれ」と声をかけてくださったのですが、浄土真宗の教えはわかっていると思っていましたから気にもとめませんでした。しかし行きづまったとき、この言葉がしきりによみがえってきたのです。
 「そうか自分はわかってなかった。でも浄土真宗ははっきりとわかる教えなんだ。それならもう一回聞いてみよう」と、開業するときに病院の二階に五十名くらい入れる聞法道場をつくる計画をたてました。あまりに経済的負担が大きすぎるので「経営が危なくなる」と何名かに忠告されたのですが、リスクを承知で計画を実行しました。
 開業の翌年、平成五年から仏教講演会を始めました。そんなある日、沢山の郵便物の中に一通の聞法通信がありました。診療が終わって封を切ると内容は往復書簡でした。それは細川先生のお話を長年聞かれた小学校教員の関真和(まさかず)先生が、癌でなくなる一ヶ月前に細川先生にあてた手紙とそれへの細川先生の返書でした。その手紙が初めて私に浄土真宗への目を開かせてくれました。
 関先生のお手紙。

「合掌 先生、長い間ありがとうございました。このことばは何度いってもいい尽すことができません。福岡学芸大学時代、本校で先生にお遇いし、仏法にあわせていただき、大きな世界のあることを知らせていただきました。…… 以来三十数年、先生のみ教えを通し、夜晃先生、親鸞聖人、七高僧、釈尊と連綿とつらなる深い歴史観を頂きました。このことは私の人生をいかに豊かにしてくださったことでしょうか。また、教育をしていきます上でも大きな励みとなりました。お念仏「南無阿弥陀仏」をいただいた故に、生きることができ、お念仏いただいた故に死んでいけます。もし、お念仏におあいしていなかったら、今ごろこのベッドの上でのたうちまわっていると思います。肉体的には大変きついです。すわるのもちょっとの時間しかできないくらいです。でも、心は平安です。…… 先生、本当にすばらしい人生をたまわりましてありがとうございました。最後の一呼吸までは生きるための努力を続けます。先生は、病気回復期ゆえ、どうかお体お大事になさってお同朋の大きな光となってください。ことばは尽せません、ありがとうございました。平成五年、六月二十四日  関 真和」

 そのとき、細川先生も癌でした。二日後に関先生にお返事を書かれます。

「関君、いよいよ大事な時になったなあ。この病気は後になるほど痛みが増すと聞いているが、君もさぞたいへんだろう。慰めようもない。南無阿弥陀仏。南無阿弥陀仏におあいできて本当によかった。これが人生のすべてであった。私は昨年十二月以来入院して、このことをいよいよ知った、君も同じだと思う。本当に良かった。南無阿弥陀仏。……死ぬも南無阿弥陀仏 生きるも南無阿弥陀仏ただこのこと一つ ……私の方が先に浄土に行っていると思ったが、君が先かもしれぬ。しかしあともさきもない。皆、南無阿弥陀仏を生きてゆくほか道はありえない。よかった、よかった。君の人生。……」
 
 この往復書簡を読みながら、思いもよらず溢(あふ)れるように涙が出て止まりませんでした。
これまでは、自分の方が念仏をああでもないこうでもないといじくり回して問うていましたが、念仏によって問われていたのは私のほうでした。自分が問題であるとは知っていましたが、それは頭だけの理解で、念仏が心の底からうなずけないので、冷たい目で仏法をながめ、冷たい目で先生を見、冷たい目で周囲を観察していたのです。
 なぜか涙しながら「冷酷無比」という言葉が浮かんできました。冷たい心しか持ってない自分の正体へのはじめての遭遇でした。十歳の時から虚しくて生ききれない、死にきれないともがき苦しんだのは、この冷酷無比なエゴのあえぎでした。溢れる涙はその冷たいエゴの心に注がれた如来の温かい慈雨のような気がします。
 私にとって、この往復書簡が浄土真宗とのであいの大きな転換点でした。この頃をさかいに、沖縄の地でお念仏を一人でも多くに届けることができたらと思うようになりました。
 数名の参加者から始まった仏教講演会でしたが、現在は毎月三十名から五十名くらいの方が参加されます。はじめて浄土真宗の話を聞く方々がほとんどです。その方々にお念仏が届くことを願って仏教講演会や読書会を開催しています。


「エゴ」だけではなく「セルフ」を生きている  

画像の説明

 皆さんはカール・グスタフ・ユングという精神科医がいたのをご存知でしょうか。この方はスイス生まれの方で、日本には京都大学の河合隼雄(かわいはやお)先生が紹介されました。
 河合先生は『ユング心理学と仏教』という本の中で、ユングは通常の意識の中心を自我と呼びましたが、自己の重要性を指摘したことは、ユングの偉大な功績であり、ユングは自己が「中心」であると言うと共に「全体」であることも強調していたと述べています。そして「自己」とは何か具体的に示して欲しいという質問に対して、ユングは「すべての皆さん」(all of you)と答えたという、ユング研究所留学中(一九六二〜六五)に、フォン・フランツ女史が講義の際に話した逸話が私は好きでありますと紹介しています。
 私はこのユングの言葉に深くうなずくものがありました。これまでも仏教をいただく上で唯識論(ゆいしきろん)やマルチン・ブーバーの『我(われ)と汝(なんじ)』などとのであいは大きかったのですが、ユングの自我と自己の視点はさらに論点を明確にしました。

 自我をエゴ(ego)、自己をセルフ(self)と表現しなおし、このエゴとセルフの視点で「お念仏の開く世界」をご一緒に考えてみたいと思います。
 セルフとは文字通り「自己自身」「本来そのようにあるもの」ですが、ユングはそのセルフが「中心」であり「全体」であると述べています。
 「中心」を「根源」、「全体」を「真如」「一如」と仏教的に敷衍(ふえん)すれば、「セルフ」とは「あるがままの根源的な真実」です。
 親鸞聖人は『唯信鈔文意』で

 「涅槃(ねはん)」をば、滅度という、無為という、安楽という、常楽という、実相という、法身という、法性という、真如という、一如という、仏性という。仏性すなわち如来なり。この如来、微塵(みじん)世界にみちみちたまえり。
(『真宗聖典』五五四頁)

と述べています。
 つまり「セルフ」は、「涅槃」「滅度」「無為」「安楽」「常楽」「実相」「法身」「法性」「真如」「一如」「仏性」「如来」と同じ表現と考えて下さい。
 その「セルフ」へのあゆみが「往生浄土」ですから、「セルフ」を語ることは「涅槃」を語ることであり「浄土」を語ることだと考えています。
 セルフは私たちを生かしめている「中心であり全体である」大いなる根源のはたらきですから、「すべての皆さん」(all of you)は「一如なる世界で繋(つな)がっている切れない一枚の大いなるいのち」と表現してもいいでしょう。この「いのち」はもちろん如来のいのち「無量寿」です。

エゴが世間・娑婆をつくる  

 住岡夜晃先生に次のような『讃嘆の詩』があります。

  如来がわかれば自己がわかる
  自己がわかれば如来がわかる
  わからぬものは自己である
  鏡を凝視(ぎょうし)せよ 自己が見える
  如来を信ぜよ 大円鏡智にうつる
   自己が見える
  自分のわからぬものに 自分の道
   があろうはずがない
  道がわからぬものには 力と悦び
   とおちつきのあるはずがない
  如来の本願は一切衆生の道である
  本願の大道に立ったものだけに
  真実の御国への歩みがある

 この詩(うた)の「自己」は「自我」の意味で用いられています。ですから「自己」を「エゴ」、「如来」を「セルフ」と置き換えれば「エゴ」と「セルフ」の関係がはっきりします。
 そこでまず「わからぬものはエゴである」というそのエゴを考えてみたいと思います。
 エゴは、三毒の煩悩と言われる貪欲・瞋恚・愚癡の姿をとります。ただただ我が身かわいさのみで物を判断・分別することが愚癡ですが、貪欲は自分の思い通りにしたいという激しい欲求を持っています。その貪欲は、瞋恚(怒り・憎しみ)に早変わりします。
 分別は上下、左右、優劣を生みます。優劣は差別を生み、差別は紛争を生み、紛争は殺し合いにつながります。小さいことは身近な家庭の問題から、大きくは社会の体制や戦争の問題まで広がります。自分の思いを通そうとするその先端には核兵器をすえ、人を殺す事もいとわないというのがエゴの正体です。
 フランス映画『ゲームの規則』に「この世の中で一つ一番恐ろしいことがあるとすれば、それは皆がそれぞれの道理をもって生きていることだ」という言葉があります。この「一番恐ろしいこと」でしか生きていない自分自身を思うと、胸のつまる思いがします。
 皆がそれぞれの道理を通そうとし、エゴがつくる世間(娑婆・穢土)は、地獄さながらの様相を呈します。

  煩悩具足の凡夫、火宅無常の世界は、
  よろずのこと、みなもって、そらご
  とたわごと、まことあることなきに、
  ただ念仏のみぞまことにておわし
  ます。  (『真宗聖典』六四一頁)

という、親鸞聖人の『歎異抄』のことばが思いだされます。

エゴを絶対悪という  

 私たちは一〇〇%与えられて存在します。髪の毛一本自分で作ったものはありません。それにもかかわらず賜った命を私の命と私物化します。しかもその私物化した自らの命を立てるために、他の命あるものを殺して食べなければなりません。生きることは罪を犯すことです。私たちは死ぬまで有罪人のままです。
仏教の経典の中に善悪のことを説いた経典があります。その教典には

  第一義諦(だいいちぎたい)に順ずるを善といい、第一
  義諦に背くを悪という

とあります。ここで言う第一義諦とは「すべてのものが本来的に平等である」ということですから

  すべてのものが本来的に平等であ
  ることに順ずるを善といい、すべて
  のものが本来的に平等であること
  に背くを悪という

となります。
 善悪の定義としては一番妥当性があるような気がします。
 私たちは、人間は万物の霊長で一番尊いとよく言いますが、それは人間中心主義の人間の思い上がりではないでしょうか。犬も猫も植物もすべてのものは本来的に尊く平等です。人間だけが偉くて立派だという根拠はありません。ただ、複雑な煩悩をもっているが故にやっかいな存在だというだけです。
 すべてのものが本来的に平等であるにもかかわらず、私たちはそれに反して自分だけを立てて生きています。それがエゴの正体です。すべてのものを本来的に平等として扱って生きている人がどこにいるのでしょうか。人間のどこに善があるのでしょうか。私たちは、すべてのものが本来的に平等であることに背いて生きている「絶対悪」の存在です。

煩悩に名前をつけて私という  

 「絶対悪」とは一〇〇% 煩悩の身ということです。金太郎飴みたいにどこで切っても煩悩しかでてきません。私の一部がエゴなのではありません。私そのもの全体がエゴなのです。つまり私の中に煩悩があるのではなく、煩悩に名前をつけて私と呼んでいるだけです。私たちはその煩悩に朝から晩まで餌をあげて生きているのです。ただただ、我が身かわいさでしか生きていません。
 私の中に煩悩もあるが善いところもあると言っている間は、自分の善いところが明日は善いことを実現すると思っていますから、「今日も悪く、昨日も悪く、また明日も悪い」というのはよくわからないわけです。エゴは絶対悪で、私たちはこの肉体が滅びるまで有罪人のままです。だから「また明日も悪い」のです。
 親鸞聖人は『正信念仏偈』で、私たち人間を「一生造悪」「極重悪人」「邪見驕慢悪衆生」、『歎異抄』で、「罪悪深重・煩悩熾盛」「煩悩具足」と表現しています。「煩悩成就」ということばもあります。私たちは一生涯きわめて重い罪を犯しつづける、一〇〇%煩悩が満ち足りている悪人であるというのです。ですから「一生造悪」「極重悪人」「邪見驕慢悪衆生」「罪悪深重・煩悩熾盛」「煩悩具足」「煩悩成就」は、絶対悪の身を言い当てた表現です。

罪福心とは相対的善悪  

 私たちは第一義諦に背いて生きている絶対悪の存在にもかかわらず、その絶対悪を自覚することもなく善・悪を立てて生きています。私たちの言う善悪は、絶対悪の存在内における相対的善と相対的悪でしかありません。その自覚がないままに、善い事と悪い事を自分の力で判断でき、そして自分は努力すれば善いことができると信じています。これが罪福心(罪福信)です。相対善と相対悪で物事を考えているために、今日は悪かったけど明日はよくなれると思って生きているのです。
 親鸞聖人は、『教行信証』の化身土巻で

 罪福を信ずる心をもって本願力を願求す、これを「自力の専心」と名づくるなり。
(『真宗聖典』三四六頁)

と述べています。「罪福を信ずる」を「自らの相対的善悪をあてにする」と置き換えるとはっきりします。つまり、エゴを根拠にした価値判断でしかない相対的善悪の心で本願力を願い求めることは、自力の心だということです。
 そして『疑惑和讃』では、この罪福心の抱(かか)える問題点をくり返し指摘しています。
  
不了仏智のしるしには 
 如来の諸智を疑惑して 
 罪福信じ善本を 
 たのめば辺地にとまるなり
(『真宗聖典』五〇五頁)

罪福信ずる行者は 
 仏智の不思議をうたがいて
 疑城胎宮にとどまれば
 三宝にはなれたてまつる
(『真宗聖典』五〇五頁)

罪福ふかく信じつつ
 善本修習するひとは
 疑心の善人なるゆえに
 方便化土にとまるなり
(『真宗聖典』五〇六頁)

 罪福心では辺地・疑城胎宮・方便化土にとどまるしかありません。
 『歎異抄』には、親鸞聖人の「 善悪のふたつ総じてもって存知せざるなり」と言うことばがあります。絶対悪のエゴの身には、何が善であり何が悪であるのかわからないと述べています。つまり相対的善悪で他力念仏を受け取ろうとすることのつまずきを述べています。
 また法然上人は「浄土宗のひとは愚者になりて往生す」(『末燈鈔』)と言われました。「愚者になりて」とは、「絶対の悪人であることに目が覚めて」ということで、その自覚がなければ往生浄土が成立しないということです。
 結局、罪福心には二つの問題点があると思われます。
 一つは絶対悪の自分の正体を見誤っているということ。セルフの視点(如来のまなざし)からすると、この世に存在するのは煩悩具足の絶対悪の凡夫のみです。「あなたも悪いが私も悪い」としかいえません。それなのに自分を善人にして正義をたてるのは誤りです。自らに正義を立てるがゆえに、激しい争いや容赦ない殺戮(さつりく)が起こります。
 もう一つの問題点は、自分の正体を見誤った罪福心(相対的善悪の視点)では本願念仏の世界は開かないということです。
 罪福心のままでとどまるならば、本願念仏にとってそれは致命傷ですが、私たちは本願によってこの罪福心を超えることを願われている存在です(「果遂の誓い」)。
 『教行信証』の化身土巻の標挙(ひょうこ)は、本願の第一九願と第二〇願です。ですから親鸞聖人は化身土巻で罪福心(相対的善悪)を問題にしたということです。罪福心を超えることができなければ、本願念仏は絵に描いた餅に終ってしまいますから、聖人は化身土巻を書かざるをえなかったと言えます。罪福心のかかえる問題点を明らかにし、それをいかに超えるかということを中心に仏道が展開すると言っても過言ではないでしょう。化身土巻がいかに大事かということです。

仏道はエゴの「私」を問題にする  

 四苦八苦と言う釈尊の教えがあります。四苦とは生苦・老苦・病苦・死苦で、愛別離苦・怨憎会苦・求不得苦・五蘊盛苦を加えて八苦と言います。仏教はこの四苦八苦を超えていく教えです。
 生苦については後ほど詳しくふれます。老苦は老いる苦しみ、病苦は病む苦しみ、死苦は死ぬ苦しみです。苦の本来の意味は、思い通りにならないということのようですが、今までは何事もなく生きてきたけれど、老いが次第に現実となり、病になり健康がそこなわれ、死を垣間見たとき、それは思い通りにならない苦として迫ってきます。この苦を取り除くため、老病死をなんとか解決しなければならないと私たちは考えるわけです。
 老いをのばして長生きをはかり、病院で何とか病気を治してもらい、死にうち勝ちたいと努力します。決してそれを意味がないと言うのではありません。世間道としては仕方のないことです。しかし、どんなに努力しても、老いて病み、一〇〇% 死にます。老病死をこえる試みは、世間道では最終的にはこえられず敗北です。

「世間道」をすなわちこれ「凡夫所行の道」と名づく。凡夫道は究竟して涅槃に至ることあたわず、常に生死に往来す。これを「凡夫道」と名づく。 (『真宗聖典』一六二頁)

 これは、親鸞聖人が『教行信証』の行巻に引用した、龍樹菩薩の『十住毘婆沙論』のことばですが、世間道・凡夫道(相対的善悪の道)は、どのように努めても決して涅槃(セルフ)に至ることはできず、いつまでも生死(エゴの迷い)をさまようだけだということです。
 この世間道・凡夫道(相対的善悪の道)をどう超えるか、それが問題です。
 私たちは、仏道と言いながら「私」を抜いて問題を考えてしまいます。しかしこれは仏教の視点ではありません。病む苦しみ、老いる苦しみ、死ぬ苦しみは、「私」が病む苦しみ、「私」が老いる苦しみ、「私」が死ぬ苦しみです。その「私」が問題なのです。老・病・死そのものは事実そのものです。その事実を受け取れないエゴの「私」が問題なのです。
 私も「そういうあなた自身が問題ではないのですか」と問われるまで、生死が問題だと思っていました。問題は「私」だったということです。
 先の『十住毘婆沙論』には、引き続いて

  『出世間』は、この道に因って三界
  を出ずることを得るがゆえに
  『出世間道』と名づく。
       (『真宗聖典』一六二頁)

とあります。
 仏道・出世間道は、三界(エゴの迷い)を離れ涅槃(セルフ)に至る道です。つまり「私」を問題にして、そのエゴの「私」を超えるということが眼目(がんもく)です。
 しかしながら、私は朝から晩まで煩悩に餌をあげることを喜びとし、絶対悪の身でありながら相対的善悪を振り回し周囲を傷つけている悲しい身であります。この身を卑下せず、この身に落ち込まず、この身を言い訳せず、どうせこれが私よと居直らず、この有罪人の私にどのような道が開かれるというのでしょうか。

生苦とはエゴを背負って生まれる苦しみ  

 生苦・老苦・病苦・死苦と言いますが、老苦・病苦・死苦はよくわかります。
 生苦は生きる苦しみではなく、生まれる苦しみですが、生まれることはなぜ苦しみなのでしょうか。
 赤ちゃんは泣いてこの世に誕生します。生まれる時、お母さんの狭い産道を通ってくるから苦しい。それが生苦でしょうか。
 あるいはとても居心地のよい子宮から、冷たい世間に無理に押し出されるから苦しい。それが生苦でしょうか。
 私たちは、どの時代に、どこの国に、どの人種に、どの両親から、男なのか女なのか、こういう選べない業を背負って生まれてきます。この世に何も条件なしにまっさらで生まれてくるわけではないのです。これが生苦でしょうか。
 長いこと生苦がはっきりせず、ああでもないこうでもないと考えてきましたが、現在私は、この世に「エゴ」という業を背負って生まれることが、生苦の意味だと理解しています。それは万人に当てはまります。
 エゴをもって生まれるということは、本来のセルフの世界を見失ってしまうということです。生まれてくる赤ちゃんの泣声は、自分のふるさとを見失った叫びのように聞こえます。分別で苦悩するエゴの人生の始まりです。これが私たちの苦しみの元なのです。このことを釈尊は「一切皆苦」と言われたのでしょう。
 エゴというのは自分が中心ですが、個人だけに終りません。自分さえよければいいという自分中心は、自分の家族が幸せであればいいという家族中心になります。個人エゴは家族エゴへと拡大します。家族中心は自分の地域がよければいいという地域中心になります。地域エゴです。地域中心は国家・民族中心となります。この国家・民族エゴが各地で争いを引き起こし殺し合いをしています。国家・民族中心は人間中心に拡大します。人間中心は人間中心主義ですが、その本質は人間エゴです。その人間エゴが地球を汚し、資源を奪い尽くし、沢山の動植物を絶滅させています。自分たち人間が生きることが困難な状況にまでなっています。恐竜は獰猛(どうもう)だったといいますが、この地上に誕生した動物の中で人間ほど獰猛な生き物はないでしょう。どこが万物の霊長でしょうか。
 「草木国土悉皆成仏」という言葉があります。命あるものもないものも、人間も人間でないものも一切平等、皆、如来の手のひらの中に存在します。それがユングの言われた「all of you」(セルフ)でしょう。仏法のおしえは、狭い人間中心主義を破って人間を広い天地に解放します。

エゴはセルフを見失わせる超強力自我発動装置(体)  

 私たちはこの世に誕生すると同時に、超強力な自我(エゴ)を発動して生きていかざるをえません。それで私は人間を超強力自我発動装置と呼んでいます。超強力自我発動体でもいいのですが、装置という表現は、肉体が滅びる時には因縁和合して自我を作っていたものは分解して元に帰るという仏教的ニュアンスを表現したいためです。
 この超強力自我発動装置(体)は、この世に誕生した時に、私を存在せしめた本来的ないのち(一如の世界・根源的なセルフの世界)を見失ってしまいます。
 何故、エゴはこのセルフの世界を見失うのでしょうか。
 エゴは分別し対象化してしか物を見ません。セルフは一如の世界、対象化できない無分別の世界です。その一如の世界を自分の都合で切り刻むのがエゴのはたらきです。ですからエゴが分別し対象化した瞬間にセルフの世界は視野から消えてしまいます。セルフの世界を見失うのがエゴの本質です。
 私を存在せしめた一如の世界、根源的なセルフの世界を見失い孤児になるだけでなく、セルフの世界に背を向ける反逆児(誹謗正法)として誕生するということです。エゴのつくりだした妄念妄想の世界を現実だと主張し、本来私を生かしめているセルフのいのち(無量寿)を自分の命だと私物化します。しかし、エゴが私物化した小さな命では、私たちは生ききれません、死にきれません。エゴが握り締めた命は腐(くさ)る以外にありません。だから苦しく不安なのです。本来のありようから外れている私たちは、自然(じねん)の道理として元のセルフに帰れ(南無阿弥陀仏)と呼びかけられている存在です。
 エゴを根拠にした妄念妄想の世界と、根源的なセルフの世界を何とか感覚的に理解してもらうために、ときどき「雑草」の話をします。
沖縄に小さな白い花が咲くアワユキセンダングサという植物があります。生命力が強く一年中至る所にはえていて、真黒いとげのような種子は洋服などに簡単につき、取り除くのに苦労します。方言名で「サシグサ」と呼んで皆が嫌う「雑草」です。ところがある時、その草に薬効があることがわかったのです。たちまちその「サシグサ」は「薬草」になり、畑で栽培までするようになりました。きっとその「サシグサ」に毒があったら一晩で「毒草」になります。その自分の利害で築き上げた妄念妄想の世界を現実の世界と言っているのです。それが私たちの見ている世間・娑婆です。
 「雑草」「薬草」「毒草」という草はありません。人間が自分勝手な価値判断で「雑草」「薬草」「毒草」にしているだけです。アワユキセンダングサは、本来は名づけようもない如来のいのち(無量寿)そのものなのです。これこそが根源の事実の世界、セルフの世界です。

釈尊はセルフに初めて目覚めた人  

 エゴは、セルフを見失います。その人類が見失っていたセルフに初めて目覚めた人、それが釈尊です。
釈尊は釈迦族の王子として産まれ、地位も財産もすべてに恵まれていました。しかし釈尊が産まれて間もなくお母さんが亡くなりましたが、それは釈尊の心に暗い影をおとしたことでしょう。普通なら、地位や財産や家族を大事に守ろうとしますが、釈尊はある日、それら全てを捨てて出家します。恵まれたお城の生活は、もはや釈尊が安んじて生きて行ける場所ではなかったのです。
 地位や名誉や健康が無駄だというのではないのです。それを仏法のために使えばいいでしょう。ただ、地位や名誉や健康しか視野に入らない生活では、生死の苦しみは超えられないということです。
 釈尊は世間の中にいては生老病死を超えることはできなかった。だからその解決を求めて城を出ていくしか生きて行く道はなかったのです。二十九歳で出家して三十五歳で悟りを開かれたと言われています。
 明けの明星が東の空にまたたく頃、釈尊は悟りを得て「ダルマが至り届いた。不死(ふし)が得られた」と宣言しました。私たちはこの世に誕生し、エゴで娑婆を生きています。釈尊はそのエゴが見失っていた自分を生かしめている一如(セルフ)の大いなるはたらき(法・ダルマ)にあわれたのです。「不死が得られた」とは「無量寿」の世界に目覚めたことの表現でしょう。
 そして、私は六道輪廻の輪から出る事ができました、もう二度と六道輪廻の世界に戻ってくることはありませんとも言われました。六道(地獄・餓鬼・畜生・修羅・人・天)を輪廻するのはエゴです。そのエゴの世界から、エゴが見失っていたセルフの世界に出たということです。七歩あるいて釈尊は「天上天下唯我独尊」と言われましたが、七歩とは六道を超えたということでしょう。エゴを根拠とする人生から、セルフを根拠とする人生が始まったことの歓喜の言葉にちがいありません。私たちもまた、七歩あるいて「天上天下唯我独尊」の世界に出る事を願われている存在です。
 私は少年時代からずっと釈尊にひかれるものがありました。釈尊がもし地位や財産や家族を捨てて城を出るという命がけの求道がなかったならば、そして菩提樹のもとでダルマに出あって悟りを開かれることがなかったならば、エゴが見失っている生死を貫く根源的なセルフの世界は明らかにならなかったでしょう。この教えがなかったなら、私はこの人生を真っ暗闇なままで送る以外になかったにちがいありません。
 「釈尊よ、あなたを思うと胸があつくなる」。

絶対善であるセルフの願いを本願という  

 「すべてのものが本来的に平等であることに順ずるを善といい、すべてのものが本来的に平等であることに背くを悪という」という言葉を先ほど紹介しました。すべてのものが本来的に平等であることに背く絶対悪の存在、それがエゴ(私)です。では、すべてのものが本来的に平等であることに順ずる善とは何でしょうか。
 一切のものを生かし「中心」であり「全体」であるものこそが絶対善です。それがセルフです。歪んだものには元に戻ろうとする復元力がはたらくように、セルフを見失ってエゴを根拠に生きている私たちに、絶えずセルフ(あるがままの根源的な真実)のはたらき、法(ダルマ)の自然の力(本願力)がはたらいています。それが法蔵菩薩の本願・誓願です。
 本願にあう道、それは法(ダルマ)を聞くことです。この聞いた法のはたらきによって、これまで相対的な善悪で生きて来たのは迷いであった、私は絶対悪のエゴの存在であったと気づくのです。
 エゴでもってエゴの正体、いわゆる絶対悪に気づくことはありません。せいぜいエゴがエゴを見て判断し主張するのは、相対的な善悪です。ここに自らの力で罪福心を超えることの困難さと、法を聞くことの重要性があります。
 相対的善悪はエゴを根拠にした判断ですが、絶対悪はセルフを根拠にした目覚めです。エゴを根拠にした相対的な善悪では見ることのできなかった一如の世界(セルフ)が明らかになります。

 そのことを『教行信証』の信巻でみてみましょう。善導大師の『観経疏』の文が引用されています。

 「深心」と言うは、すなわちこれ深信の心なり。また二種あり。
 一つには決定して深く、「自身は現にこれ罪悪生死の凡夫、曠劫より已来、常に没し常に流転して、出離の縁あることなし」と信ず。
 二つには決定して深く、「かの阿弥陀仏の四十八願は衆生を摂受して、疑いなく慮りなくかの願力に乗じて、定んで往生を得」と信ず。
              (『真宗聖典』二一五頁)

 「機の深信」と「法の深信」、いわゆる二種深信です。
 「機」とは、エゴの私のことです。「自身は現にこれ罪悪生死の凡夫、曠劫より已来、常に没し常に流転して、出離の縁あることなし」とは、私は「今日も悪く、昨日も悪く、また明日も悪い」、絶対悪のエゴの存在であることの確かなうなずきです。それが「機の深信」です。
 「法」とは、セルフのはたらき(本願力)のことです。「機の深信」の「出離の縁あることなし」とは、エゴはエゴのみではエゴを超えられないということであり、「かの阿弥陀仏の四十八願は衆生を摂受して、疑いなく慮りなくかの願力に乗じて、定んで往生を得」とは、絶対善である法(阿弥陀仏の本願)によってのみ、絶対悪のエゴは超えられるということです。それが「法の深信」です。
 『正信念仏偈』には

  極重悪人唯称仏 我亦)在彼摂取中
  煩悩障眼雖不見 大悲無倦常照我
      (『真宗聖典』二〇七頁)

とあります。
 「我亦在彼摂取中 煩悩障眼雖不見 大悲無倦常照我」(我また、かの摂取の中にあれども、煩悩、眼を障えて見たてまつらずといえども、大悲倦きことなく、常に我を照らしたまう、といえり)は不思議な言葉です。
 なぜ、私の眼が煩悩によって覆われていることがわかるのでしょう。しかも眼が煩悩によって覆われているにもかかわらず、なぜ如来の中に摂取され、しかも如来の大悲が常に倦むことなくこの私を照らし続けていることがうなずけるのでしょうか。見えないものが見え、分からなかったものがうなずけるという大変なことが起こっています。
 これこそがセルフ(法・本願)のはたらきです。法(セルフ)によって機(エゴ)にめざめ、機(エゴ)によって法(セルフ)が明らかになります。「機法一体」と言われる「機の深信」と「法の深信」が同時に成立する浄土真宗の信心が表明されています。この信心がセルフに南無して生きるあたらしい人生を開きます。
 「法」に照らし出され、絶対悪である極重の悪人に目が覚めたものは、絶対善であるセルフに帰依しお念仏を申す身となります。それが「ただ念仏」の成立、「極重悪人唯称仏」(極重の悪人は、ただ仏を称すべし)です。
 

絶対悪への目覚めは、セルフの世界の回復  

 『歎異抄』第一章には、

本願を信ぜんには、他(た)の善も要(よう)にあらず、念仏にまさるべき善なきゆえに。悪をもおそるべからず、弥陀の本願をさまたぐるほどの悪なきがゆえに。
(『真宗聖典』六二六頁)

とあります。
 なぜ「 弥陀の本願をさまたぐるほどの悪 」はないのでしょうか。
 エゴは一如なるセルフ(絶対善)の中にありながら、強力な絶対悪の巣をつくって妄念妄想として存在しています。つまりエゴはセルフの否定としてしか存在できません。それが生苦であるといいました。一如なるセルフの世界のみが根源的事実の世界です。絶対悪と絶対善が同じレベルで二つあるのではないのです。
 エゴはその「切り離すことのできない大いなるいのちの世界」を自分勝手に切りきざんで私物化し、セルフの世界を見失って存在していますが、そのエゴ(絶対悪)への目覚めは、そのままがセルフ(弥陀の本願)の世界の回復です。分別への目覚めが、おのずから本来の無分別を回復するといっていいでしょう。ですから「 弥陀の本願(絶対善)をさまたぐるほどの悪(絶対悪) 」はないのです。
 さらに第一章には、

弥陀の誓願不思議)にたすけられまいらせて、往生をばとぐるなりと信じて念仏もうさんとおもいたつこころのおこるとき、すなわち摂取不捨の利益にあずけしめたまうなり。弥陀の本願には老少善悪のひとをえらばれず。ただ信心を要とすとしるべし。
(『真宗聖典』六二六頁)

 弥陀の誓願不思議(セルフのおのずからなる願い)のはたらきとは、一如なるセルフが「汝、帰れ!本来の大いなる世界に」とエゴに絶えず呼びかけるはたらきです。
 『正信念仏偈』には、

   正定之因唯信心
   惑染凡夫信心発 
   証知生死即涅槃
      (『真宗聖典』二〇六頁)

 読み下すと「正定の因はただ信心なり。惑染の凡夫、信心発すれば、生死即涅槃なりと証知せしむ」です。つまり、この絶対善の呼びかけである本願念仏(南無阿弥陀仏)が至り届きエゴの正体に目が覚めると、絶対悪は存在場所を失い、エゴは本来のセルフに摂取されます(「生死即涅槃」)。これが滅度に至る往生浄土の歩みで、「能く一念喜愛の心をおこせば煩悩を断ぜずして涅槃を得るなり」(『正信念仏偈』)です。

大いなる目に見えない「力」を賜って  

 親鸞聖人は『教行信証』の行巻で

   他力と言うは、如来の本願力なり。
       (『真宗聖典』一九三頁)

と言っています。
 私は以前、物理学を勉強していたので他力や本願力というと、「力」というところに微妙に反応してしまいます。「力」というのは、はたらきです。だから他力や本願力から「力」が抜けると、はたらかないものになります。他力・本願力は、はたらきをもつことの表現です。
 物理において一般に「力」はベクトルです。つまり「力」は方向と大きさを持ってはたらきます。仮にこの世の中に「力」がなかったらどうなるでしょうか。「力」がないと、永遠に止まったものは止まり続け、動いたものは等速直線運動をつづけます。物が加速や減速され、あるいは方向をかえる、つまり変化するのは、何らかの「力」がはたらくからです。宇宙全体が運動していますから、厳密(げんみつ)には永遠に止まった物も、等速直線運動している物も存在しません。近似(きんじ)でそう言っているだけです。 
 生まれることも、死ぬことも、こうして生きていることも、私の思いを超えた変化です。「力」がはたらいているということです。「本来そのようにあるものの願いのはたらき」(如来の本願力)を他力・本願力といいますが、私たちは現に今、このはたらきをこうむって存在しているのです。

 『末燈鈔』には、最晩年の親鸞聖人の「自然法爾(じねんほうに)」がのっています。読むたびに感動します。
 
  自然というは、自はおのずからという。行者のはからいにあらず、しからしむということばなり。然というはしからしむということば、行者のはからいにあらず、如来のちかいにてあるがゆえに。法爾というは、この如来のおんちかいなるがゆえに、しからしむるを法爾という。法爾はこのおんちかいなりけるゆえに、すべて行者のはからいのなきをもって、この法のとくのゆえにしからしむというなり。すべて、人のはじめてはからわざるなり。このゆえに、他力には義なきを義とすとしるべしとなり。自然というは、もとよりしからしむということばなり。弥陀仏の御ちかいの、もとより行者のはからいにあらずして、南無阿弥陀仏とたのませたまいて、むかえんとはからわせたまいたるによりて、行者のよからんともあしからんともおもわぬを、自然とはもうすぞとききて候う。ちかいのようは、無上仏にならしめんとちかいたまえるなり。無上仏ともうすはかたちもなくまします。かたちのましまさぬゆえに、自然とはもうすなり。かたちましますとしめすときには、無上涅槃とはもうさず。かたちもましまさぬようをしらせんとて、はじめて弥陀仏とぞききならいて候う。みだ仏は、自然のようをしらせんりょうなり。         
(『真宗聖典』六〇二頁)
 
 「本来そのようにあるものの願い・はたらき」(如来の本願力)は「自然法爾」であります。人間のはからいを超えているがゆえにそれを他力という。そして「本来そのようにあるものの願い」とは、エゴの人間を、「無上仏」つまり色も形も無い一如の世界、根源的なセルフの世界、法性(ほっしょう)の都(みやこ)、いのちのふるさとに届けたいという願いです。
 私たちはもともとセルフによって誕生せしめられたにもかかわらず、私を存在せしめたその世界を見失い孤児(こじ)になるだけでなく、セルフの世界に背を向ける反逆児(誹謗正法)として誕生し、流転しています。その私たちは、大いなるセルフの世界に帰れ、南無して生きよと呼びかられている存在です。「南無阿弥陀仏とたのませたまいて、むかえんとはからわせたまいたる」とは如来の大悲であります。

お念仏の開く世界  

 先に、「他力と言うは、如来の本願力なり」を紹介しましたが、その他力を見失って生きることを自力といいます。他力を見失ったものはエゴを根拠に生きる以外にありません。
 『一念多念文意』には、

自力というは、わがみをたのみ、わがこころをたのむ、わがちからをはげみ、わがさまざまの善根をたのむひとなり。(『真宗聖典』五四一頁)

とあります。もちろん「わがさまざまの善根」は相対的善です。
 エゴの人生は、あれが欲しいこれが欲しいという目的を追い求め、満たされることのないむなしく過ぎる人生です。そのことをマルチン・ブーバーは、目的語をとる他動詞の世界と表現しました。他動詞の世界は、目的をかかげ「人事を尽くして天命を待つ」外なる生き方です。
 他動詞でない世界は自動詞の世界です。自動詞の世界とは、目的語をとらなくていい世界、自ずからなる自己充足の世界、他力の世界です。清沢満之先生が言われたように「天命に安んじて、人事を尽くす」内なる生き方です。
 つまり自力の人生は所有することを喜びとし、それを追い求める流転の生き方ですが、他力とは根源的ないのちに目覚める自己充足の慶びです。「いつ死んでもよし、いつまで生きてもよし」(金子大栄先生)の世界です。
  親鸞聖人も、『一念多念文意』に『浄土論』の

仏の本願力を観(かん)ずるに、もうおうてむなしくすぐるひとなし。よくすみやかに功徳の大宝界を満足せしむとのたまえり
(『真宗聖典』五四三頁)

を引用され、善導大師和讃では

煩悩具足と信知して 
本願力に乗ずれば 
すなわち穢身すてはてて
   法性常楽証せしむ
(『真宗聖典』四九六頁)

と讃嘆されています。
 つまり「お念仏の開く世界」とは、エゴを根拠にする自力の生活が、セルフに帰依して生きる他力の生活へ転換されることです。
 『歎異抄』には

  一向専修のひとにおいては、回心ということ、ただひとたびあるべし。その回心は、日ごろ本願他力真宗をしらざるひと、弥陀の智慧をたまわりて、日ごろのこころにては、往生かなうべからずとおもいて、もとのこころをひきかえて、本願をたのみまいらするをこそ、回心とはもうしそうらえ。(『真宗聖典』六三七頁)

とあり、『唯信鈔文意』には

「回心」というは、自力の心をひるがえし、すつるをいうなり。
(『真宗聖典』五五二頁)

とあります。
 生まれながらに見失っていた他力(セルフ)を回復することが「回心」です。それは聞法において、法の自(おの)ずからなるはたらき、「如来の回向)」によって引き起こされます。セルフ(他力)が回復したとき、私たちを生かしめている根源的ないのちの呼びかけに呼応(こおう)して生きる人生が一人一人に開かれます。正定聚不退に住し滅度(セルフ)に至る人生、これが浄土真宗です。
 ご一緒に聞法されていた謝花勝一(じゃはなかついち)さんが一昨年、五十三歳でお浄土に還られました。新聞記者でした。癌を患って闘病生活は十六年間にも及びました。長い闘病生活で行きづまり、たまたまのご縁で仏教講演会と読書会に参加されるようになりました。それから二年間、仏法を聞き続けられました。奥さんから病状が急変したと電話があり急いでお訪ねし、手を握って耳元で「勝一さん、お念仏にあえてよかったね」と話しかけるとかすかにうなずかれ、しばらくして「思い通りにならなくて」と返事されました。お亡くなりになってから遺書が見つかりました。遺書をたずさえての聞法でした。この二年間に仏法を勉強した大学ノートは十六冊にも及びました。命がけの聞法でした。
 絶体絶命になった時に地位も名誉も健康も当てになりません。それはあったほうがいいでしょうが、あったほうがいいものでは人間は救われないのです。是非ともなければならないものでしか生死は超えられません。つまり大いなるセルフの世界に出あうということがなければ、生死の苦しみを超えられないのです。勝一さんは身をもって、そのことを教えて下さいました。大好きな言葉は「大悲無倦常照我」でした。
私は十歳の時から生死の問題に翻弄(ほんろう)されてきました。こうして念仏の世界に出あうことで、初めて生死の問題に向きあえる視点を頂きました。
 今回「信道講座」とご縁を賜り、「お念仏の開く世界」という講題ながら、私の個人的な話から始めました。この浄土真宗の教えはいつの時代でも、どの地域のどの人にも伝わる根源的な教えだと確信しています。私の話が独りよがりでなく、普遍的な意味をもって皆さんに伝わったら嬉しく思います。どうもありがとうございました。

          

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